信仰―法話コーナー


法話

手と手を合わせて【2017年5月の法話】

春の終り朝顔の種を蒔く。二週間ばかりすると、薄緑色のかわいい芽がでてくる、まるで赤ちゃんが小さな手をぴったりと合わせた様です。朝顔だけでなくすべての木々の新芽は「合掌」の形で現れます。大宇宙の生命力に感謝しているように思えます。

「手と手のシワを合わせると幸せになり、手の甲と甲を合わせると節と節が重なって不幸せになる」と、うまいことを言う人がいて、なるほど人の手には表情があり、人の動きがそのまま表れると思います。

「神仏は電車の吊り革のようなものだ。人は、人生の曲がり角が来たり、ブレーキがかかるとブラ下がる」といわれます。人は自分の力がおよばなくなってきた時、神仏に手を合わす。お願いごとをする時は、一生懸命に手をすりあわせ、感謝の意を表すときや、ざんげをするときは、じっと手を組み合わせ、尊敬の念を表すときはソッと手を合わせます。合掌して「おがむ」ということは、現実から逃避することではなく、現在の悩みをのりこえて、強く生き抜いて行く力がわいてくるものではないのでしょうか。

「右ほとけ、左はわれと合わす手のなかぞ床しき南無大師」という言葉もあるように、人の心は仏心と悪心の間を常に揺れ動き、「いつも仏心を持てますように」と祈るのです。親の合掌する姿は子どもを正しく導くこともできますし、人に手を合わすことができる人は、相手も手を合わせるようになります。

常に感謝の合掌で、正しい生き方をしたいものです。

合掌

(三松庸裕)

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