信仰―法話コーナー


法話

ご先祖さまと私たち【2017年8月の法話】

今年もお盆の時期が近づいて参りました。近年、核家族化や過疎化がますます進み、両親や祖父母たちと一緒に住むことがなくなっている家庭も増えているかと思います。また、仕事も忙しく、なかなかお盆に休みがとれなかったり、実家に帰れなかったりで、ご先祖さまを供養する機会が減ってきている方も増えているかと思います。実際、私の友人や知り合いの方からも、「今年は帰る機会を取れそうにないから」「もう広島へは帰ることないから、盆参りに来ると言われてもねぇ…」ともうお盆参りをお願いするのをやめようかというような声も聞こえてきます。

私が八歳の時に、祖父は亡くなりました。まだ私も小さかったので、祖父との記憶といっても、皆さんから教えていただくばかりで、自分自身の記憶は少ししか残っておりません。

しかし、父親に毎朝、学校へ行く前に、仏壇にお茶を備え、手を合わすように教えられておりました。初めの頃は、なぜこのようなことをしなければならないのだろうと、正直、面倒くさいなと思っていた日が多かったと思います。ただ、いつのころからか段々、「今日も頑張ってきます」とか、「今日は試験だから、上手くいくように見守っていてね」などと手を合わすようになっていました。そして、いつの間にか、私の肩にはいつも祖父がいて、笑って見守っていてくれているのではないかと思うようになっていました。

昨年の仁和寺にて修行をさせていただいた折には、より強くご先祖さまのお陰を感じました。無事、行を終えられることを願うだけでなく、今、ここで、私が修行をさせていただいている縁や成り行きを考えますと、父親、祖父を含め、遺伝子が受け継がれており、今の私があるのはご先祖さまのお陰なのだとより一層思えるようになっておりました。

中には、ご先祖さまのことを素直に感謝しようと思ってはいても「あの人のせいで、私は今こんな苦しい目にあっているのよ」と思われる方もいるかもしれません。ですが、それも含めて、まず、ご先祖さまがいなければ、私たちはいま、ここにいることはありません。ぜひ、もう一度、このお盆という機会に、家族みんなでいま、私たちがここにいられることをご先祖さまに感謝をされてみてはいかがでしょうか。ご先祖さまに感謝をするということは今あるかけがいのない命というものを見直す機会にもなるのではないでしょうか?

合掌

(吉田大裕)

◆◆◆法話のバックナンバーはこちら◆◆◆



戻る

NMJ Net Market Japan Corp.