信仰―法話コーナー


法話

三日坊主【2017年10月の法話】

「三日坊主」よく聞く言葉です。語源を調べてみると、「僧の修業」というのは、朝早く起き、お勤めに始まり、食事も粗食で掃除、読経、規則正しい生活を送り、頭も丸めて坊主を志した人でもその実態に触れると並大抵の心構えではとても長続きしません。三日も経たないうちに音を上げて俗界にもどってしまうのが常です。こうした事から「三日坊主」という言葉が生まれました。正直な所僧侶になる為の修業は大変厳しいものです。しかしこの「三日」というのは単に短い期間という意味で使われている様に説明されますが、実はこの「三日」が何かしらキーワードではないかと思います。何でも三回経験すると、ものごとが見えてくるのではないかと思うのです。その代表が「石の上にも三年」という言葉。何か新しいことをはじめて春夏秋冬が三回めぐる間に、おのずと分かることがある。三年目にもなるとその間にやっていた事が経験となって、継続しても、やめても、次のステップに引き継がれていきます。又、「セカンド・オピニオン」という言葉も最近よく耳にします。病院で大病を宣告されたら、三軒病院を回って、自分の納得できる診療方法を判断するなど、この「三回」も先人の知恵なのかもしれませんね。

三日坊主も、単に「飽きっぽい」「長続きしない」ことを揶揄する言葉より、朝、昼、晩、坊主の生活を三回繰り返すことで、自分にできるかできないかを判断する基準と解釈したいですし、どちらかと言うと坊主の修業は「三日もやったらやめられない」という系譜に属してほしいものです。坊さんはそれほど素晴らしい生き方だという考え方で「三日坊主」という言葉を使いたいものですね。

合掌

(三松庸裕)

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