信仰―法話コーナー

法話

魂のゆくへ【2017年9月の法話】

みなさんは、「0葬」という言葉を知っているでしょうか。通夜も告別式も行わずに、遺体を火葬場に直行させ焼却する「直葬」をさらに進め、遺体を焼いた後、遺灰を持ち帰らず捨てるのが「0葬」です。また、ナシ婚という言葉をご存じでしょうか?「お金がないから結婚式をしない」「そもそも結婚式に価値を見出せない」と、結婚式をせず入籍だけで済ませてしまう。そんなカップルが増えているそうです。どちらもいわゆる冠婚葬祭に関する現代の人々の考えですが、上記に関していえばいずれも出費に対する考えに起因しているようです。そもそも冠婚葬祭は当事者のみで行われるものではないのではないでしょうか?家族親族知縁のみに限らず町内、集落、という規模でおこなわれていた通過儀礼が、現代の核家族化によって当事者に物心両面において負担をかけているのが現状のようです。フランスの民俗学者ファン・ヘネップは、「通過儀礼とはある状態から別の状態へ移行する際に行われる儀礼。特に人の一生における誕生・成人・結婚・死などの際に執り行われる儀礼習俗(一括して冠婚葬祭。)である。」といっています。また、世界中の様々な民俗的儀礼には共通して「分離/過渡/統合」という過程があると主張しています。「人間が人生の節目でステータスを変更する際(たとえば結婚、誕生、葬式など)、その「越境」を円滑に達成するためにこそ、「通過儀礼」というものが必要となる。過去のステータスから「分離」し、「過渡」的な段階を経て、新たなステータスへと「統合」される。過去のステータスからの分離は「死」によって象徴され、新たなステータスへの統合は「再生」によって象徴される。人生の行程で「死」と「再生」を繰り返すことで、人々はステータスを更新しながら成長する。」と述べています。また、日本民俗学者宮田登によると「成人式は、この世に生を受けたものが、それまでの不安定な状態にあった霊魂を安定させることを大きな目標としている。霊魂の安定化は、肉体的に一人前になったことと軌を一にするのである。」「死は肉体と霊魂の分離であり、葬式からの後の供養は、死者に対して行われる儀礼である。」日本において通過儀礼は鎮魂、すなわち魂の安定化と考えられてきました。故に古来より鎮まらない魂は「タタリ」とされてきました。さて、通過儀礼を執り行うには「家」という単位が重要になってくる、しかしながら面倒な形式を嫌う現代においてそれを成立させている構造自体が失われているように思えます。私たちはもう一度、「家」のあり方や関わり方を考えてみる必要があるのではないでしょうか。

合掌

(酒井太観)

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