信仰―法話コーナー

法話

ご馳走さま【2017年7月の法話】

もう数年前になりますが、関西地方から宮島へ旅に来ていた同年代の方と、偶々食事の席が隣になり、お酒を飲んでいたこともあって、すっかり意気投合したことがあります。その晩、熱燗を酌み交わしながら、彼は夢を熱く語ってくれました。大いに笑い、呑み、その日のお酒はいつもに益してとても美味しかったことを思い出します。

その彼が三年前、ついに夢を実現させ、兄弟三人で力を合わせて地元に飲食店を開きました。その報を受けて、いつか彼のお店に行きたいと思いつつ、なかなか叶いませんでしたが、昨年末に伺う機会を得ました。兄弟と仲間たち、自らの手で古民家を改装し、囲炉裏も手作り、落ち着いた雰囲気で居心地も良いお店です。そうしたなか、お薦めのメニューをいただきました。

「これホンマうまいやろ!」「これはこうして食べるのがいちばんやねん!」と笑顔で勧めてくれる食事は本当にどれもおいしい。「ここに来たみんなに幸せになって欲しい。」その想いが食事にも、スタッフの笑顔にも、雰囲気にもお店全体に溢れていました。

しばらく食事をいただきながら、彼は次のようなことを話してくれました。 『一日に三食、一年で千数食、八十歳まで生きられたとして、人間が一生のうちに摂ることができる食事の回数は約八万七千回。膨大な数のようで、実は数えることができるくらいの限られた回数。だったら、一食一食無駄にせず、感謝の気持ちをもっていただくことが大切』
『食事の前に「いただきます」というのは、命をいただくこと、色々な人たちの仕事を経て食卓に並び私たちの命に繋がっていることに感謝をして手を合わせるのだ』
『食事の後の「ご馳走さま」。「馳走」とは、走り回ること、物事の支度のために奔走すること。今はスーパーに行けば何でも手に入るが、昔の人はお客さんを招いて食事を出す時、主人は野山を走り回って苦労して食材を集めた。そうしていただいた食事に、お客さんは感謝と敬意の気持ちをもって手を合わせるのだ』

彼の食事に対する熱い想い、そしてそこに必ず寄り添う感謝の気持ち。昨今、まともに食前食後の挨拶をしない人もあるようですが、私たちも日頃の生活のなかで、ついつい食事に対する感謝の気持ちを忘れてしまいがちです。食事をすること、食べられることは当たり前だと…。食事に限らず衣食住、当たり前のように思っているその全てが実は当たり前ではないのです。しかし、常に感謝の気持ちを持ち続けることは大変難しいことです。せめて、食事の前後の挨拶に手を合わせ、食事をいただけること、多くの縁によって生かされていることに感謝をしましょう。

合掌

(日高誠道)

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