信仰―法話コーナー

法話

謙虚に日々を【2016年10月の法話】

毎日をどんなものにしたいか、と問われれば、充実した日々。生産性のあることをしたい。静かに平和に暮らしたい。など様々な答えが返ってくると思います。それこそ十人いれば十通りの答えが返ってきてもおかしくはないでしょう。

そして様々な答えの中でも、わざわざ争い事を積極的に起こしていきたいなどという人はそういないように、大多数の人は平和に争い事なく暮らせることが願っていると思います。

ですが個人がそれぞれの意見、主張を持つ限りどこかでぶつかりあいが生じます。

そこでお互い納得の行く展開を経て結末をむかえられ、円満な解決となれば言うことはありませんが、相手に主張している内容を下げてもらう、乃至は妥協してもらい、反対意見を理解という形で納めてもらうのは簡単な話ではありません。

また、主張を行うそれぞれがお互い落ち着いて話しているならば、穏便な解決も望めるでしょうが、譲れない話であればあるほどヒートアップしてしまい、話し合いが成立しなくなってしまうこともあります。

自分と相手の年齢差が広い場合や、お客さんと店員さんのように立場の強さの違いなど、相手にわかってもらう話をするには様々な障害があります。

各々が正しいと思う主張をすればそれでいいというものではない。というのは明白ではありますが、それぞれが持つ主張が大事であればあるほど、そうした当たり前のことすら話し合いの時には考慮の外になってしまいます。

意見のぶつけ合いの中、心中穏やかではなくなった時、怒りの沸点が近づいた時、ふっと我に返り、状況を客観的に捉えることに努めれば、今一度話し合いの席に戻ることもできるでしょう。

「相手に主張を下げさせ、自分の主張を相手に認めてもらう。」ではなく、「相手の主張を自分が認めた上で、自分の主張を相手にわかってもらう。」ことを目指すことが大事です。

毎日を過ごすには傲慢ではなく謙虚に生きること。とはよく言われることでありますが、毎日を謙虚に生きられているかは、それぞれの心の安寧が揺らいだ時に試されます。

「正しいことを言って何が悪い」とはなるほど最もな意見でありますが、正しいことを正しいと主張すればそれでいいわけではありません。

個人における正しさとは意見であり、それが本当に正しいかと言うのは、一般的なマナーやモラルを加味した上で多数決で決められてしまうものです。

相手の主張を自分の中に取り入れ、認めるところは認めた上で、正しさを説くことが理想であると私は思います。

そこに押し付けの精神など一切ありません。自信を持って断定できますでしょうか。

自信の譲れない心から生まれたものを押し付けることなく受け止めてもらうことが出来ますでしょうか。

本当に難しいことです。面倒くさくなって結局押し付けに移行してしまう人もいるかもしれません。ですが、そこを諦めてしまわずに一歩相手の主張の中に自分を歩ませてください。平穏な日々はきっとそこから始まるでしょう。合掌

合掌

(西園航大)

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