信仰―法話コーナー

法話

物も言いようで、角(かど)が立つ【2016年9月の法話】

「丸い卵も切りようで四角、物も言いようで角が立つ」ということわざの一言です。

ことばというものは、正しく相手方に通じて初めて意味を持つものですから、いくらこちらが善意をもって話しても、それを相手がどのように受け取るかによって、伝達の内容が逆になってしまうことはよくあることですね。「私はそんなつもりで言ったのではありません。」といくら弁解しても、いったん気を悪くした相手の気持ちは、そう簡単に元には戻らないでしょう。口は禍(わざわい)の門(もと)といわれますから、互いによほど心して口を開かなければならないと思います。

先日、私が目にした、ひょうたんの一筆画に、「虚(きょ)なれば即(すなわ)ち濤(なみ)を起こし、満(み)つれば即(すなわ)ち安然(あん ねん)」と賛がありました。初めはその書が読めなかったのですが、後にひょうたんの賛だからなるほどと、気付きました。

ひょうたんは酒を入れる物ですから、中に少ししか酒が入っていないとピチャピチャと音がします。しかし中にお酒が一杯入っていると、何も音がしなくて静かで落ちついたものだ、という意味なのですね。これは私たち人間も同じことでしょう。あまり中身のない人に限って私のように言わずもがない事までぺちゃくちゃとよく喋りますが、中身のぎっしり詰まっている人は余計なことは言わずいつも黙っています。ことばの不用意な使い方がどれほど人を傷つけるか、という事に私自身が気付かされ、まことに恥ずかしい思いでした。

又、「人を殺すにゃ刃物は要(い)らぬ」と言うことわざがあるように、嫌なことを言われた側の人にとって言葉は、命を引き換えにするほどの、重みを持っているのです。逆にその一言で相手を笑わせたり、安心させたり、喜ばせたりもできます。

「物も言いようで角が立つ」ということばほど、今日の私たちにとって心すべき事だと言えるでしょう。

私も心のひょうたんの中のお酒をいつもなみなみ一杯に保って、言葉が言える様に心がけたいものです。

合掌

(三松庸裕)

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