信仰―法話コーナー

法話

「隣の芝生は青く見える」【2016年5月の法話】

同じようなものを持っていても人が持っているものの方が良いもののように思えるものです。きっとそのように思う人は何を持っても満足することはないのでしょう。人間の欲望にはきりがなくそれを追い求めることもまたきりがありません。お釈迦様の教えの中に「知足」とあります。京都の龍安寺のつくばいはあまりにも有名でご存知の方も多いかと思います。つくばいに彫られている言葉は時計回りに読むと「吾唯足知(われただ たるをしる)」となります。これは「満足することを知っている者は貧しくても幸せであり、満足することを知らないものは例え裕福でも不幸である」という意味合いをもちます。簡単なようで非常に奥深い難しい言葉ですね。たくさんの物に恵まれそれが当たり前になっている現代では余計に理解し難いのではないのでしょうか。

例えば食事の際お腹がいっぱいになれば自然と「ご馳走様でした」と口にし「もう充分」という心が生まれます。しかしこれが欲しい物の場合その心はどうでしょうか。目の前に山のように積まれていたとしても、欲に目がくらみもっともっとと欲をかいてしまう可能性があります。それではやはりきりがないですね。つまり全ての根本において私たちは足るを知り強欲にならないことが大切なのです。欲のない人間などいないのですから重要なのは自分の器にあった欲で満足することでしょう。そのためには先ず自分を見つめ直すことを心がけることも大切です。千利休は茶道の心得として「家は漏らぬほど食事は飢えぬほどにて足ることなり」と言っています。欲張らず必要な分だけ用意し、茶を点てまず仏に供え、人に差し上げ、施し、最後に自分もいただくという利他の精神がそのまま自分の幸せであるといいます。どうしても欲が邪魔をしてこのような考えをもち実践することは困難だとは思いますが何をするにも「自利利他」の心を心がければ心穏やかな日々を過ごせるになるのです。

満足するということは簡単なようで難しいことですが、ではどこで満足をするのでしょうか。

今一度「吾唯足知」を見つめ直してはいかがでしょうか。今ある現状に感謝をし、今ある現状に満足をし、私たちは生かされているのだと気付きましょう。

合掌

(三松庸裕)

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