信仰―法話コーナー

法話

思い立つ【2016年2月の法話】

よく、思い立ったが吉日といいますが、何か物事を始めようと思ったら日を選ばずにその日のうちに始めなさいという意味ですが、中々思ったことを即実行に移すことは難しいものです。

何かのきっかけで、あれをしてみようか、こんなことはどうだろうか。色々なことを思いますが、その大半はすくい取られることなく消えていきます。

思い立ったが吉日という言葉を調べてみると、思いつくと思い立つはよく間違われるとありました。
 自分の心に「思い」が浮かんでくることを「思いついた」と表現し、「思い」を手に取り実行してみようと決心した時を「思い立つ」と表現するのだと私は考えます。

思い立ったことを、いざ始めようとするのですが、今度は中々始めるまではいかないこともあります。
 環境に恵まれなかったり、タイミングを逃してしまったり、一度そうしてつまづくと次回が来ずにそのまま終わってしまうこともあります。

色々と思いつき、思い立ち、そしてうまくことを運べたものが実行まで移されます。
 思いついたものの数から考えると、それは少数であると思いますが、なんだかもったいなくは無いでしょうか。

今年は弥山の山頂から、美しい初日の出を拝むことが出来ました。
 日の出の例年の時間は七時十分頃。その時間までに弥山に登るのは楽なことではありませんし、初日の出だって綺麗に見ることが出来るとは限りません。

「だったらやっぱりやめようか。」とは思わずに、「いやいや、それでも見に行ってみようよ。」と自分の思いを大事にした結果が、雲海の中に煌めく、あの美しい光景でした。

日々を過ごしていると、色々な物が私達の元から去っていきます。
 旧知の人との別れは寂しいですし、ものが壊れてしまうと悲しい思いをします。
 時間の流れでさえも、過ぎ去った昔の事を振り返ってみるとセンチメンタルな気分になります。
 私達は去るものに対し、悲壮感を抱きます。

思い立つには至らなかった自分の「思い」も、自分の心から去っていく。と考えてみると、できるだけすくい取りたくはなりませんか?

合掌

(西園 航大)

◆◆◆法話のバックナンバーはこちら◆◆◆


戻る

NMJNet Market Japan Corp.