信仰―法話コーナー

法話

言うは易く、行うは難し【2016年1月の法話】

「言うことは簡単だが、実際に行うとなると容易なことではない」この語は私たちが普段、日常的に使っていることばですが、実は二千年以上も前より語り伝えられたことばです。又、私たちもこの語を言うばかりでなかなか実行することができないとは、笑えない所です。

昔の話の中に、中国の唐の時代に鳥(ちょう)?(か)道(どう)林(りん)という有名な僧がおりました。彼はいつも一本の高い松の木に登って坐禅をしていましたので“鳥の巣の和尚”として仰がれていました。

ある時、この鳥?禅師を訪ねて、白(はく)楽(ら)天(てん)という有名な詩人がやってきて、「老師様はそのような高い所に住まわれて、危ないじゃありませんか?」というと、「毎日の生活に追われて心が安定しないあなたの方こそ、よほど危険じゃあるまいか」と応えられました。これこそ高い樹の上から、逆に足元をすくわれてたというところです。

つづいて白楽天が「仏法とは、いったいどのようなものですか?」と問いますと禅師は、「諸(しょ)悪(あく)莫(まく)作(さ)、衆(しゅ)善(ぜん)奉(ぶ)行(ぎょう)、自(じ)浄(じょう)其(ご)意(い)、是(ぜ)諸(しょ)仏(ぶっ)教(きょう)」と答えました。「どのような悪いことはしてはならない、できる限りの善いことをするように心がけよ、そうすればおのずと心が浄められていくのだ。これが仏の教えられている事だ」という意味です。これを聞いた白楽天が「それだけのことでしたら三歳の幼児にでも分かる話じゃありませんか」と語ると、禅師が、「三歳の子供にでも口にすることができるが、八十の老人にも実践できんのじゃ」と答えられたのです。流石の白楽天もこれを聞いて深くうなずき、この人こそ人生の師と決めたそうです。仏道というのもこのように言うは易くして、実践することは難しいものであります。

ここにきて私も日常何気なく混同して使っている「仏教」という語と「仏道」という語の内容が決して同じものではなく、実は全く質の違うものである事に気づかされました。仏教は二千五百年もの昔、仏陀によって説かれた教えです。そんな昔の教えを、今に生きる私たちも仏教徒として聞くことができる事は、実に有難いことではないでしょうか。

しかしいくら有難い教えを聞いても、それを日常生活において実践しなかったら、それこそ自分の人生にとって何の意味もない話しになってしまいます。仏の教え「仏教」が素晴らしいと分かったら、すぐにでも実践しなくてはなりません。その実践こそが「仏道」というべきものでありましょう。

合掌

(三松庸裕)

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