信仰―法話コーナー

法話

畏敬の念【2015年11月の法話】

先日、ご祈祷に来られた方が話されていました。息子さん家族が関東方面に住んでおられるとのこと。「最近は関東のほうで色々災害が起こっているようで心配なのよ。」

我々の記憶に新しいところでは、九月の大雨で栃木県では鬼怒川、宮城県では渋井川が氾濫、堤防が決壊するなどして、多くの家屋が浸水する甚大な被害が出ました。残念ながらこの豪雨で亡くなった方もおられます。また、十月にも北海道で大荒れの天気となり、被害が出ております。そして、広島に暮らす我々にとっては、発生から一年以上経過した今もなお、その傷跡が深く残る昨年八月の土砂災害のことを忘れることはできません。いずれも被害に遭われた方、またそのご家族の方の気持ちを察するには余りあります。また大雨だけではなく、大きな地震もしばしば発生しています。さらにそれに伴う火山活動も全国的に盛んになっています。「天災は忘れた頃にやって来る」とよく言われますが、こうした様々な災害は決して他人事ではなく、いつ身近なところで起こりうるかもわかりません。先のご祈祷に来られた方のご心配も最もと言えることであり、常に何事もないことを祈るばかりであります。

こうした災害を見た時、何と自然の力というのは大きく、また恐ろしく、一方で何と人間の力は小さなものだと感じます。現代の我々の生活は、過ぎるといって良いほどに便利を享受しています。蛇口を捻れば水が出るのは当たり前、ボタン一つでお湯が沸く、乗り物さえあればどこへでも行けるなど。ややすれば人間の力で何でもできるような気になってしまいます。しかし、先のような災害に対して、人間の力では手も足も出せません。

昨今、異常気象ということが頻りに言われますが、穏やかな気象に異常をもたらした一因は、私たち人間の生活なのではないでしょうか。太古の人々は、自然のなかで生き、また人間の力の及ばないものに対し畏敬の念をもっていたはずです。そして、神に仏に手を合わせていたはずです。

我々が享受している現代の生活を放棄することなどはできません。しかし、せめて人間の力を過信するのではなく、自然を敬い、自然に対し畏れを知ること、また災害だけではない恵みをもたらしてくれる自然に感謝の気持ちをもつこと、そして自然という、あるいはそのなかにおわします神仏を拝すること、こうしたことは永劫忘れてはならないのではないでしょうか。

合掌

(日高誠道)

◆◆◆法話のバックナンバーはこちら◆◆◆


戻る

NMJNet Market Japan Corp.