信仰―法話コーナー

法話

「折り返し」【2015年6月の法話】

月が新しくはじまりましたら、私は、いろいろなことを考えます。

季節的なことから、私的なこと、大事なこと、くだらないことを考えながら新しい月を迎えます。

そしてこの度一番に思い浮かべたのは、もう今月を過ごせば、一年が折り返しを迎えるということです。

なんに例えましても、始まりと終わりが必ずついてまわるのは当然のことで、始まりと終わりを点としますと、一本の線になります。折り返しということは、その線の真ん中ということになります。

さて、「真ん中」というものは、どのようにお出迎えすればいいものでありましょうか。

例えば、お母さんのおなかの中で命が芽吹いた瞬間を始まりの点とし、この世を去る瞬間を終わりの点としますと、人生という長い線になります。

その真ん中と申しますと、死を寿命としましたら、平均が八十歳程ということですので四十歳くらいになります。

初めが肝心、終わりよければすべてよし。と私たちは口にしますし、始まりと終わりには力がこもります。長距離を走るときも、スタートの合図から誰より早く走り出そうと前に出ますし、ゴールが近づけばスパートをかけます。

ならば大事なのは出発駅と終点で、指して重要ではないのか。もちろんそんなことはありません。

人生に例えましたら、生まれる時、そして死ぬ時よりも、その間どうやって生きてきたか、またどのように歩いていこうか。ということのほうが、いろんな話ができるはずです。

最初にそういった過程を線に例えましたが、何人、何十人と集めても、世界中の人々の線を比べても同じカタチの線はないはずです。生まれてからどういう人生を歩むのか、どんな人と出会うのか、何をするのか。そういったことは生まれる前から運命で定められている。などという話も聞きますが、それは見方を変えれば、それぞれの人達が、これまでに自ら掴み取って大事にしてきた繋がりの集大成、ご縁と言えます。

生きていれば様々な人、出来事、時や場所に出会いますが、出会ったからといって必ずしも相手をする必要はなく、素通りすることもできます。それらと関わり合いを持つかどうかを選ぶのは自分自身です。

素通りしてきたなら、素通りしてきたなりにそれらとの付き合い方も生まれるでしょうが、そのように選択したのは自分自身です。

自分に自信があるひと、ないひと、自分のことが好きなひと、そうではないひと、様々な人がいますし、感じ方はひとそれぞれです。

ですが、そうして生きてきた人生に折り返しを迎えるとなったら、それまで意識していなかったとしても、知ってしまえば私たちは力を入れ直すものです。

このひと月は今一度力を入れ直す心構えで過ごしたいものです。

合掌

(西園航大)

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