信仰―法話コーナー

法話

「真(まこと)の意味」【2015年5月の法話】

「あうんの呼吸」という言葉を耳にされたことがある方は多くいらっしゃると思います。共同で物事を行うとき、何も言わずとも息がぴったり合うという意味で、この「阿吽」は吐く息と吸う息のことをいいます。神社での狛犬や沖縄のシーサー、お寺の山門にある仁王像も左右一体で「阿吽」と呼びます(口を開けているほうが阿形、閉じているほうが吽形です)。

「阿吽」とは、もとは梵語(サンスクリット語)の最初と最後の文字で密教では宇宙の始まりとその帰着する究極の姿を象徴しています。

弘法大師空海は著書である「吽字義」の中で阿吽の音や文字そのものに深い意味があり、特に「吽」の字はすべての教えが集約された大日如来の姿そのものだとおっしゃっています。そしてその中で「一切世間は但しかくの如く字相をのみて知りて、未だかつて字義を解せず。この故に生死の人と為す。(世間の人はみな字の形だけは知っているが、いまだ字の真の意味まで理解したことはない。それゆえ生死にとらわれ、迷うままなのだ)」と述べておられます。大変難しく厳しい言葉ですが、実際私たちはうわべや形だけを見て物事を判断したりわかったつもりになっていることはないでしょうか。そしてその本質まで知ろうとはしないことのほうが多いのではないでしょうか。

私が先に述べた「阿吽」も辞書を引くまで何のことかわからず、まして密教的にそんな意味があるなどと知らなかったという人も多いでしょう。私の祖母は常々「知ったかぶりほど愚かで恥ずかしいものはない」と私を叱ってくれていました。言葉の中には想像とは異なる意味を持つものもたくさんあります。それを知る楽しさを是非みなさまにも知っていただき、空海の言葉を戒めとしていればうわべだけの知識で満足することなく生きていけるのではないでしょうか。

四月から新生活をスタートさせ、新しいことに毎日戸惑いながら過ごしている方もいらっしゃることでしょう。暗中模索されている方もそれで終わらせることのないよう、日々学ばせていただいていることに感謝をし、試行錯誤しながら精進いたしましょう。

合掌

(三松庸裕)

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