信仰―法話コーナー

法話

らしいよ【2015年1月の法話】

先日、とあるテレビコマーシャルで「らしいよ」という言葉をとりあげたものがございました。「らしいよ」普段私たちが生活している上でよく耳にする言葉ですね。この憶測を表す言葉、内容によっては良い方にも悪い方にも捉えることができます。使っている本人に悪気はなくともどこかの誰かを中傷してしまうような内容になっていることはないでしょうか。確かなことではない限り、それを伝えたいという気持ちを抑えきれずついつい口走ってしまうことで、その結果真実とは違う妄想を生むことがあります。

弘法大師空海は「実義を知るをば即ち真言と名づけ、根源を知らざるをば妄語と名づく(真実を知る言葉をまことの言葉といい、根本を知らない言葉をいつわりの言葉という。)」とおっしゃっています。さらに「いつわりの言葉は長夜に苦しみをもたらし、まことの言葉は苦しみを抜き安楽をもたらす」と続いておっしゃっています。密教では「三密(身密・口密・意密)」という修行を行いますが、空海は特に「口密」を重んじていたとされ、声・言葉・文字というものを大変重視していたようです。

現代は情報社会であり、様々な手段でいとも容易く膨大な量の情報、言葉が溢れています。その中で知らず知らずの内に自分が無責任に流されている言葉も無数にあるのではないでしょうか。自分が受け身のままではそれが真実か偽りか見極めることもできません。だからこそ時には疑問を持ち、自分で悩み考えながら真実かどうかを判断するということも大切なのです。また「沈黙は愚者の知恵」という欧米の格言がありますが、これもまたその通りで時には沈黙するということも大変重要なのです。「間違っているかどうかわからない場合は、やらないようにしておいたほうが良い」というお釈迦様の教えにも通ずるのではないのでしょうか。真実かどうかわからないことは言わないほうが良いと私は改めて思います。わからないことを言わないためにも、真実を見極める土台をしっかりと築くことが大切です。そのためにもしっかりと自分自身で多くのものや多くの人から学ぶということも大事なのではないでしょうか。

「らしいよ」皆様が使っているその言葉はまことの言葉ですか。

「らしいよ」もしもそれがいつわりの言葉であったら皆様はどうしますか。

「らしいよ」この言葉を発する前に今一度それが真実かどうかを見極めてはいかがでしょうか。

合掌

(三松庸裕)

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