信仰―法話コーナー

法話

冷暖自知【2014年9月の法話】

「冷暖自知」という言葉をみなさまご存知でしょうか。水が冷たいか暖かいかは、人からああだこうだと説明を聞いたり、あれこれ考えたりする前に自分で触ってみればすぐにわかることだ、という意味です。

私たちは何かを行う前に頭でその行程を考えます。考えることはもちろん必要で大事なことです。しかしながら、考えてもわからないことというものもあります。そのようなことを延々と考え、とらわれ、動けなくなる前にまずは挑戦してみることも大切なのです。

誰も何も教えてくれないので何もわからない、何もできないと嘆いていらっしゃいませんか?悩んだり、嘆き諦める前にまずは行動してみることです。見様見真似でも自分でやってみるということが大切なのです。失敗は成功のもとという言葉もあるように、おそれずに自分自身で行動することです。

老舗の名店の主人は先代から一度も寿司の握り方を教わらなかったと聞きます。その先代もまた同じように親方の仕事を見ながら自分でやってみて体で覚えたと、以前読んだことがあります。それがその店代々の流儀なのでしょうか、と書かれていました。私はそれを読んで妙に納得してしまいました。師から教えを乞うことはありがたいことです。しかしそれに甘んじていては本当に自分のためになったと言えるのでしょうか。

仏法の真髄というものは、師に教わったり頭で学ぶものではなく、みずからの体験を通して会得し、悟る以外にないものです。

自分自身のことだけではなく、子どもの教育にも同じことが言えるのではないでしょうか。あれこれと知識ばかり与えても、実際自分で体験させてみなければ本当の知識は身につきません。体験させること、挑戦してみようという意欲が大切です。そのような心が自分を、または他者を成長させるための糧となるのではないのでしょうか。

弘法大師空海の言葉に「未得を得となし、未到を到とおもえり(いまだ何も得ていないのに得たと思い込み、いまだ目的を達していないのに達したと思い込む)」とあります。空海はそれが自分をちっぽけなものにしてしまうと戒めています。

やりもしない内からあきらめていることはありませんか。また考えるだけで行動できていないことはありませんか。自分を成長させるためには一生が修行であり勉強です。怖がらず、一歩前に踏み出す勇気を持ち、挑戦してみてはいかがでしょうか。

合掌

(三松庸裕)

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