信仰―法話コーナー

法話

神仏に祈る〜感謝〜【2014年7月の法話】

先般、真言宗御室派に所属する広島・山口を中心とした地域の青年僧侶の会で、九州の宗像大社「沖ノ島現地大祭」並びに宗像大社の別当寺・鎮国寺さまに参詣するご縁をいただきました。尤もこれには、声を掛けてくださった諸先輩方とのご縁やご配慮があったからなのですが。

宗像大社は、宮島の厳島神社と同じ宗像三女神をご祭神とし、九州本土の辺津宮(へ つ ぐう)(市(いち)杵島(き しま)姫(ひめの)神(かみ))、大島(おお しま)の中津宮(なか つ ぐう)(端津(たぎ つ)姫(ひめの)神(かみ))、沖ノ島(おき の しま)の沖津宮(おき つ ぐう)(田(た)心(ごり)姫(ひめの)神(かみ))からなる古社で、古代祭祀の形を色濃く残しております。また別当・鎮国寺は辺津宮と川を隔てた山に建つ、弘法大師が開かれた千二百余年の歴史を有する古刹であります。

さて中津宮のある大島までは定期便も出ており、誰でも参詣できますが、九州本土の沖合約六十キロの玄海灘に浮かぶ小島・沖ノ島は神職の方が常駐するのみ、今も女人禁制が布かれ、一般男性も「現地大祭」の一日のみ、海で禊を行って初めて入島できる聖域です。無論、天候不順の場合は参詣できません。私たちも沖津宮まで参詣させていただくご縁に恵まれましたが、古来「不言様(おいわずさま)」として、沖ノ島で見聞したことは他言してはならないとされております。

今回は三つのお宮とも参詣できましたが、これは即ち太古の人々がひたすら祈りを捧げた場所に立つということであり、また海での禊に見られるように、その祈りの形が現代まで脈々と受け継がれてきたという重みを感じることでもありました。勿論、現代の人々の祈りも夫々に重みをもっております。軽い祈りなどというものは決してありません。しかし、現代のようなメディアの情報があるわけでもなく、また外洋に面したこの地域は古来多くの危険にも面してきたはずです。そのとき人々は、只管に祈りを捧げるより他なかったのではないでしょうか。それは純粋に平安無事を祈るものです。人々は、身近に神を感じ、神に奉仕し、感謝をしつづけてきたのです。また、仏教伝来・神仏習合後も同様に、神に仏に感謝の誠を捧げてこられたのです。大聖院の十一面観音さまが厳島神社の御本地仏であるように、鎮国寺のご本尊様、大日如来・釈迦如来・薬師如来は宗像三社の御本地仏であり、お大師様ご開創以来、人々が祈りを捧げてきた仏さまです。

この度の参詣で、太古の祈りを肌で感じることによって、純粋に祈るということについて再考し、神仏への感謝を忘れてはならないと再認識いたしました。

合掌

(日高誠道)

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