信仰―法話コーナー

法話

ねがいごと【2014年2月の法話】

一年が幕を閉じ、新たな一年が始まり、早くも一月がすぎました。年末、そして年始には、皆様それぞれの抱負であったり、一年の目標を心に誓われたことと思います。

初詣にはいろいろなことをお願いされたと思います。

そういった、なにかの皮切りに決意する思いはもちろん、普段なにかを望むとき、願い事をするとき、というのはなにかを欲しているときです。欲しているなにかを心に密かに思い浮かべ、こうだったらいいのになあと希望を思い浮かべます。

私は何か願い事をするとき、その思いを口にすることにしています。

それは他人に吹聴してまわるとかそういうことではありません。自分に言い聞かせる。とでもいいましょうか、一種の暗示のようなものとでもいいましょうか、そのときそのときによって、自分に対しての言葉の意味や言葉の役割は異なりますが、「思ったなにかを口にする」ということに、私は重きを置いています。

口にするだけで急に何かが変わるわけではもちろんありませんが、強く思って発言したことには力があります。何かを為すには始まりのきっかけが必要です。思いや願いを言葉にすることでそのきっかけを作ってやろうということです。

もちろんその後には願いを叶える為の努力や時間、運やタイミングも必要です。

そういった努力や時間などで心許ないときに御祈祷を受けたりするわけですが、その御祈祷をする側として皆さんにお勧めしていることがあります。御祈祷の中で読経する観音経、般若心経、御真言など、一般の方でも唱えられるお経を御祈祷中に一緒に読経することです。ただ読経するだけではありません。それぞれの思い、願いを口にするように読経する、ということです。

祈祷師は本尊さんへ皆さんの思いをお届けしているわけですが、その思いの理解度、その思いへの深さは、当然皆さんの方が何倍も上です。

その思いに対して100%の力で以てお経を祈祷師と共に挙げることで、より本尊さんへ正確に、強くお伝えできる、より意義のある御祈祷になるというものです。人に対しても、思いに対しても、何かを強く思って伝えたことは響きます。

そうしてその後は四苦八苦してお願いごとを叶えようとするわけですが、急がば回れとも言いますが、焦ってやっても失敗したり、成功しても何かが欠けていたり、後味が悪い結果になってしまったりするものです。

私の師が「進んでも、戻っても、迷っても構わない。道は歩き続けていれば道なんだ。ただし立ち止まらないこと。立ち止まってしまったらそこは道ではなくなってしまう。」とよくおっしゃっていました。新たに始まったこの一年間、立ち止まらずに歩き続けていきたいものです。

合掌

(西園 航大)

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