信仰―法話コーナー

法話

「蓮を観じて自浄を知り、菓を見て心徳を覚る」【2013年12月の法話】

師走ともなり、毎日を忙しく生きていく中で自分の心を見つめ直すと言うことが難しい世の中になっております。今年も天災や事故、人間による事件が毎日のように起こる中で、私たちは今生きています。そのような中で生きていると心に余裕がなくなり、心が曇り、そこで他人への愚痴や不満、悪口が生まれ、感謝の目や気持ち・言葉が失われがちです。

それは人間に対してだけではなく、自然に対しても同じことです。私たちは生きているのではなく生かされているのでございます。それすらも忘れてしまうくらい心の余裕を見失ってはいませんか。

冒頭で述べたのは弘法大師空海の言葉で「蓮の花を見ては自分の心が清浄であることを知り、その実を見ては心に徳が備わっていることを思う」という意味です。

蓮(蓮華)は仏教では極楽浄土を象徴する花です。仏そのものの象徴としても大切にされ、お釈迦様の仏像は蓮華をかたどった台座の上に置かれます。お寺でも池に蓮を浮かべるところは多く、もちろん大聖院でもご覧頂けます。蓮はどんな濁った泥沼にも育ち、しかしその花は決して泥に染まることなく本来の美しく清浄な姿を我々に見せてくれます。また蕾のうちから中に実を持つことから、我々誰もが仏性(仏となる素質)を持っていることに例えられます。

心が疲れきってしまったり、迷いが生じたり、濁ってしまっていると感じた時、お寺に足を向け蓮の花をご覧になってはいかがでしょうか。「自分は仏教に関わりがない」と思っている方でも、蓮の花の清浄な美しさを目にすれば心が洗われる思いがするのではないでしょうか。花の季節でなくともお寺には仏像があります。その仏像を拝んでくるだけでも心の洗濯になります。そこで仏様の心の広さをご自分の心で感じてみてくだされば、心にたまった汚れもなくなり、生かされていることに改めて感謝することができるのではないでしょうか。また自然に触れてみることもよいでしょう。落ち着いた心で今一度、十善戒をお唱えしてご自分を振り返ることもよいでしょう。

そうして明日への活力を頂いて、この年の瀬には目に見える埃を掃除するだけでなく、目に見えない心の埃も掃除して、「笑う門には福来たる」というように笑顔で来る年を迎えてみるのもよいのではないでしょうか。

合掌

(三松 庸裕)

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