信仰―法話コーナー

法話

いのちいっぱいに生きる【2013年11月の法話】

私が若いころ通っておりましたお寺に、Hさんという年配の女性の方がおられました。お寺にこられれば、お不動さんの前で一日中一心に御真言をおとなえされておられました。私はなんでそんなにお参りされるのだろうと、ある時にお尋ねしてみました。「そりゃあんた、お不動さんがありがたいからよ。」といわれました。そして、いつも困ったときにおかげがあるそうです。お話しをお伺いしたときは、ご主人の手術成功のお参りをご祈念されておられたそうです。手術は無事成功におわり、のちに聞いた話では、ご主人の手術を執刀された先生から、「奥さん、少しおたずねしますが何か信仰されていますか?」と聞かれ、「お不動さんを毎日拝んどります。」とお答えになったそうです。すると先生が「ああ、やっぱり。奥さん、医者があんまりこんなこというのはいかんのですが、手術の際、メスを入れる時にメスの先が金色に光ったんです。それで、この手術は成功するなとおもったんですよ。良い信仰をお持ちですね、これからも続けてくださいね。」といわれたそうです。お医者さんは、世の中には人智をこえた働きがあるということはわかっておるそうなんですが、立場上言えないそうです。また、このお医者さんのようにいわれるかたは稀で、これも仏縁なのかなあと思いました。Hさんいわく、「そりゃーあんた、お不動さんが時にメスの先に、時にお医者さんへと姿をかえて御苦労してくださったんよ。」とうれしそうに言っておられました。しばらくして、退院された御主人からもお話をきいてみますと、とにかく奥さんがお不動さんの真言をとなえてなさいといわれるもんで、麻酔がまわるまでお不動さんの真言をとなえておられたそうです。麻酔がきいて夢かうつつかのとき、お不動さんが金色の光につつまれて眼前に立ち、「我が今から汝を治さん」といわれ、「ありがとうございます。よろしくお願い致します。」と申し上げ、気が付くと病室のベットの上におられたそうです。横には目をつぶって、一心に手をあわし真言をおとなえする奥様の姿があったそうです。

私が思いますに、信仰とはただただ一筋に一心に仏にすがり身を任せ、委ねきっていくものであり、仏とつながること、いや、つながっていることを体観することなのだと思います。ある本を読んでおりましたら、仏教とは「法界に捨身せよ」これすなわち仏法なり。法界(ほうかい)とはすべてのあり方の根源、すなわち真理そのものであります。捨身とは仏や仏の教えに対して身体をなげうって供養(くよう)したり、他の生き物を救うために自己の身を布施(ふせ)する修行のことであります。

とかく昨今、「これ一本でいこう」という考えがないように思える。自身の欲深さからいろいろな情報に踊らされ自身の進むべき道を見失い、また、御参りをしてもなかなか霊験が現れないことに腹を立て、神仏を逆恨みしたり、いつも流転しているように思えてならない。

Hさんご夫妻は、まさしく「法界に捨身」し仏に逢うことができたのだ。だからこそ大いなる如来の加持力が加わったのではないか。信仰という錨(いかり)があるからこそ、私たちは様々な苦しみに流されることがないのです。命があるかぎり、精一杯一筋に生きる。そして仏とともに生きるひぐらしが、わたしたちを輝かしい未来へと導いていくのではないでしょうか?

合掌

(酒井太観)

◆◆◆法話のバックナンバーはこちら◆◆◆


戻る

NMJNet Market Japan Corp.