信仰―法話コーナー

法話

縁結び【2013年9月の法話】

仏教の教えと言いましても、様々なものがございますが、その中でもよく「"縁"を大事にしなさい」ということがよくいわれます。"縁"とはつまり自分とそれ以外の人々とのつながりを現すものですが、「縁を大事にしなさい」と言われて、私たちがとってしまう行動とはなんでありましょうか。

私たちが一口に「縁を大事にしなさい」と言われて取る行動とは、否、そこで止まってしまう行動とは、「自分にとって心地よい関係の人達との関わりを深める、より親密になれるよう努力する」といったことでしょう。

人間、なんでもかんでも自分にとって、"心地よい"ものが好きなものです。楽しいこと、嬉しいこと、気持ちが良いこと、そして好きなこと。それらは自分にとって心地よいものです。

逆に自分にとって"嫌なもの"。辛いこと、苦しいこと、嫌なこと。これらが好きという人はあまりいないでしょう。もちろんそれらに立ち向かうことは大切です。ですが、"立ち向かう"ということは、自分にとって、少なからず"敵"であるということに他なりません。つまり"嫌なこと"に立ち向かうことは、"嫌なこと"に対して、一種の嫌悪感を示していることと同義なのです。

"縁"、つまり自分と他人との"つながり"において、心地よいものとはつまり、好きな人達のことです。例えば家族、例えば親友、恋人など。そして嫌なものとは、言い方がよくありませんが"嫌いな人"のことです。

人間生きていれば、誰しも相性のよくない人というのは必ずいるものです。ですが"縁"というものは人との"つながり"のこと。であるならば、心地よい"縁"だけでなく、嫌な"縁"も大事にしなければなりません。

例えば、あなたが生まれてから今までたくさんの出会いがあったことでしょう。その出会った人々と自分の間に、一本の線が結ばれているとお考えください。その線は出会いの数だけ本数があります。それらをたぐり寄せ、一つの毛玉のようにしたとき、それがあなた視点での"世界"となります。

その世界は、心地よい人々だけでなく、嫌な人々、全ての人々がいなければ、全く違う世界になってしまいます。

嫌な人々との縁を深めるというのはなかなか難しいことです。ですが、難しいからこそ、それを成せた時、更によりよき縁が結べるというものです。難しいかもしれません、できないかもしれませんが、結ぼうとすることに意味があるのではないでしょうか。

ひょっとしたら今まで嫌な人だと思っていた人こそ、将来かけがえのない人になるかもしれません。

合掌

(西園航大)

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