信仰―法話コーナー

法話

無可(かもなく)無不可(ふかもなし)【2013年7月の法話】

ビギナーズラックという言葉があります。勝ちたい、儲けたい、成功したい、そんな下心がないビギナーだからこそ、勝利の女神が微笑んでくれる。しかしそのゲームや仕事に慣れ研究を深めるにしたがい、邪心(きめつけ)(思い込み)が生まれ、うっかり「負け」や「失敗」のカードを引いてしまう。つまり邪心を捨てることが勝負を制する事に繋がるのではないでしょうか。

今その時を、目の前にある瞬間を一生懸命に勤め、努力している時こそ「邪心のない空っぽの心」になる事ができると思います。お大師さんの教えにも「邪心を消してしまうことができれば、人は本当の自由や真理にたどりつくことができる。手からモノを放したときに、その手は真理を掴むことができ、手にモノを持っている間は何も掴むことができない」とあります。周りからの様々な教えを参考にし、他人の教えだからといって邪険にしたり、無視したりしない、その度量の深さが仏心の深さでもあるということでしょう。

私の好きな言葉に「無可無不可」という孔子の言葉があります。なすべきこと、良いと決めこんだこと、やってはならないこと、悪いと決めこんだこともない。とにかく初めから何も決めつけたり、思い込みを作ってはいけない、可も不可も超えて、それらにとらわれず生きるべきである。彼の修行の人生から絞り出され、たどり着いた言葉、常に邪心をすて初心を忘れるなと言われていると私はいつも感じます。

たとえば、工事現場にある赤い三角のポールがあります。横から見ると「△」ですが、下から見ると「○」です。真横からしか見たことのない人はポールのことを円錐ではなく「△」と一生思い続けるのでしょう。

でも、「これ、三角に見えるけど、もしかしたら別の方向から見たら違う形に見えるかもしれない」と考えることはなかなかできるものではありません。なぜなら物事をすべての方向から見ることなどなかなかできないからです。

しかし、邪心をすてることによって心に余裕ができ、いろんな角度から見ることができるかもしれませんね。

私も含め、物事に対して、縁あって出合う人に対して、「きめつけ」や「思い込み」という邪心を捨てる努力を、常に心がけて意識して日々精進して、いかなければと思います。

合掌

(三松庸裕)

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