信仰―法話コーナー


法話

「やさしく、やさしく」【2012年8月の法話】

 毎年この時期になると、特にここ広島では、「何回目の夏を迎えます。」と見たり聞いたりするようになります。幸いな事に、昭和二十年八月九日以降に、戦争で原子力が使用されたことはありません。これからの歴史上で、「戦争で原子力が使用されたのは、八月六日が最初で、八月九日が最後でした」となる事を祈るばかりです。

 人類の歴史は、とても永く、これからも続いていくのですが、私個人の生涯は間違いなく折り返し地点を過ぎていると思います。

 そんな私個人の歴史の中で、約二年前、自分の不注意で右肩を脱臼してしまいました。脱臼は良く耳にするので、それ程大変なイメージは、私のなかでなかったのですが、実は骨折よりも大変なことがかなりあります。怪我によって損傷した椎間板状の軟骨などはもう治らないというのです。そんな感じでも、少しは生活に不便がない様にと、リハビリの為に現在も接骨院に通っています。そこは、むかしから有る地域密着型の病院で、古くからの常連さんが多いところです。私はそんな常連さんの中では、おとなしく治療に専念するしかありません。そんな地域密着型の良いところは、地元の情報が耳に入って来る事で、先日もある話を耳にしました。それは、廿日市にある川土手に、さくらんぼが実る木があり、その時も丁度木にいっぱい実がなっていたそうで、その実をある女性が採っていたとのことです。しかし、採っている時に怪我をして骨折したそうで、その現場は救急車が来たり、パトカーが来たりと大騒ぎになったそうです。そして、その話のなかで一番驚いたのは、その日のうちに行政が来て、その桜の木を切ってしまったということです。その方が言っていたのは「行政はいつも対応が遅いのに、こんな時は早いし、大体、桜の木を切るかな。女性も怪我して可哀相だけど、自分の口に入る分だけ採れば、怪我しなかったはずなのに、欲張ったからよのう」と言っていました。私も正にその通りだと思いました。それぞれの立場になってみれば思いや考えも理解出来ますが、桜の木については、人の都合で可哀相だなと思いました。私達は日頃から多くの方々の前で、「人は自分一人で生きている訳ではなく、生かさせてもらっている。」と言っていますが、まだまだ伝えきれていないです。食べ物一つをとってみても、生きている命を頂いて食する事が出来ます。むさぼる事はいけないと分かっていても、「ついつい」という事は良くある事ですが、小さな事が積み重なれば、大きな事になって仕舞い悲劇になります。日々の生活の中に、シグナルはたくさん発せられています。人生は一度、今日の一瞬は一回、地球は一つ。一人が小さい幸せを生めば社会全体では、大きな幸せになるはず。復興している日本。元のように復興するのではなく、以前より良い日本へと復興することを祈っています。

合掌

(福嶋範道)
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