信仰―法話コーナー


法話

不悪という生き方【2012年4月の法話】

諸悪莫作(しょあくまくさ)
…諸々の悪はなさない
衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)…色々な善は行わせていただく
自浄其意(じじょうごい)
…みずからその心を清める
是諸仏教(ぜしょぶっきょう)…これが諸仏の教えである
 これは七仏通誡偈(ひちぶつつうかいげ)という偈文であります。
 つまり簡単に申しますと、善いことを行うより先ずは「悪を行わない」これが始めなのです。なぜ「悪を行わなければ良い」のかといえば、「不悪」が安心の本源に有るからです。自他ともに、安心は「不悪」から生み出されるのです。仏教の考え方では、善いことを行うというより悪いことをしないほうが大切なのです。悪いことをしないためには「戒」を持つことが必要です。「戒」という字は「いましめ」と読みますが、実際には「心に浸み込んで、忘れることが出来ないこと。忘れられないこと。」と考えたほうが良いでしょう。「戒」を破ろうとするとき、そういう「戒」の浸み込んだ心の働きが「いましめ」となって、不善の行動を押し止めるからです。
 おおよそ悪とは、生命あるものは全て平等であって万物は関わり合っている(縁起)という法(あたりまえのこと)を害することであります。
つまり、生命を活かすことができないということではないでしょうか?
 例えば、人にはそれぞれにそれぞれの都合と事情を持っています。その都合と事情をそれぞれが主張しあうとどうでしょうか?自分の都合と事情という差別心(ここでは縁起がわからないことを指します。イデオロギー)によって、人の心を傷つけ、ときには心を盗み、心を弄び、でたらめを言い、実の無い綺麗ごとを並べ、悪口を言い、二枚舌を使い、誠実であることを惜しみ、事が露見すれば逆上し、皆同じことをしていると居直る。ちっぽけなことに二十四時間三百六十五日毎日毎日心が支配され、生命を活かすことも知らず、生かされていることも知らず、少しずつ少しずつ悪を作っているのです。
 まずは、一日一日「思い」と「言葉」と「行動」に気を付けて生きていきましょう。そのためには、懺悔の心(自分に愧じ、他人に愧じること)をもつことが大切です。毎日のお勤めやお参りの中で、繰り返し繰り返し体に浸み込ませるように会得することです。心に実感が出来れば、言葉に心がこもります。心のこもった言葉を繰り返せば、自ずと行動に表れます。そうすれば、六道はみ仏の智恵の光明に照らされ、自ずと心の迷いの霧は晴れることでありましょう。

合掌

(酒井太観)

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