信仰―法話コーナー


法話

ありがたいご縁【2012年12月の法話】

私事になりますが、もう二ヶ月も前の事、今年も四分の三を終えようかという九月の末日、それも仕事が終わって一段落した夕刻、全くの不注意により後頭部を強打し出血するという事態を引き起こしてしまいました。すぐさま病院で診てもらった結果、幸いにも傷は浅く、脳内にも何の影響もなし、全治一週間にも満たない軽い怪我で済みました。頭部の傷なのでそれなりの出血はありましたが、軽い怪我で済んだのは誠に不幸中の幸い。本当はそのような怪我をしないことが一番良かったのかもしれませんが、この怪我をしたことで改めて気付かされたこと、学んだこともたくさんありました。それは私の不注意に対する神仏からの誡めだったのかもしれません。

私が頭を打ったのが夕刻、そして私の後頭部の傷とそこからの出血を見て、先輩の役僧さんが直ちに救急に電話。頭を打っているためか、広島市内の脳神経外科を紹介され、救急車に乗るにしても、自身の足で病院まで行くにしても、付き添いの人が必要とのこと。周囲の「救急車を呼ぼうか」との声を押し切って、私は勝手に「救急車を呼ぶ程ではない」と自身の足で病院に行くことを決意。(後から思えば、多少大げさなりとも救急車を呼べば良かったと思いますが…)問題は誰に付き添いをお願いするかです。この時間から、フェリー・電車・タクシーを乗り継ぎ病院へ、そして帰りはその逆の道順。宮島へ帰るフェリーが夜の最終便近くなることは予め目に見えています。誰もそのような付き添いは嫌なものですが、別の役僧さんが快く付き添いを引き受けてくれました。また病院に向かう道中、知人からは「大丈夫、どうしたん?」という心配の声を掛けてもらいました。

在り来りな言葉ですが、よく「人は一人では生きていけない」といいます。また、「人」という字は人と人が支えあっている様子を表したものだともいわれます。今回、怪我をして感じたのが正にそのことです。私の傷を見て直ちに救急に電話をしてくれた先輩、夜遅くまで時間が掛かるのにも関わらず快く付き添いを引き受けてくれた同僚、道中声を掛けてくれた知人、また後日事情を知って「大丈夫だった?」と声を掛けてくださった方もたくさんいます。そのように、私たちはお互いに多くの人と出会い、多くの人と関わりを持ち、多くの人に支えられ生かされています。ごく「当たり前」のように感じている周囲の人たちとの出会い、しかしそれも実はすごい確立のなかで生まれた「ありがたい」ものなのかもしれません。「ありがたい(有難い)」の原義は、読んで字のごとく、「滅多にないこと」「稀有なこと」です。

日常のなかに溢れている人との出会い、そして出会った人たちとの繋がり、そうした目に見えない「ご縁」、さらには神仏に護られているという神仏との「ご縁」。私たちはなかなか気付かないでいるけれども、実はそうした「ありがたい」ご縁のなかで、お互いに支えられ生かされているということに今一度、感謝の気持ちを持つべきではないでしょうか。この度怪我をしたことから、私が改めて気付かされ、学んだことの一つです。

合掌

(日高 誠道)
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