信仰―法話コーナー


法話

十善戒【2012年1月の法話】

「不殺生(ふせっしょう)・不偸盗(ふちゅうとう)・不邪婬(ふじゃいん)・不妄語(ふもうご)・不綺語(ふきご)・不悪口(ふあっく)・不兩舌(ふりょうぜつ)・不慳貪(ふけんどん)・不瞋恚(ふしんに)・不邪見(ふじゃけん)」
不殺生:生きものを殺しません。
不偸盗:人の物を盗みません。
不邪婬:人の道にはずれた愛情関係をもちません。人の道にはずれた不倫をしません。
不妄語:うそをつきません。
不綺語:人をまどわすことを申しません。
不悪口:人を悪くいいません。
不兩舌:まちがったことを申しません。
不慳貪:むさぼり欲しがることしません。
不瞋恚:人などに対しそねみの心をもちません。
不邪見:道理にはずれた考えをしません。(解説は『真言宗のしきたりと心得』による)
以上は、私たちが日常用いる「在家勤行次第」のなかの「十善戒」(仏さまの教えを守り実行するための十の戒め)です。また、私たち生きとし生けるもの(衆生(しゅじょう)または有情(うじょう))のはたらきは身(しん)口(く)意(い)の三業(さんごう)に集約されます。身口意の三業とは、身体的行動・言語表現・心に思うことをいいます。先の十善戒と身口意の三業を照らし合わせると、不殺生・不偸盗・不邪婬の三つが身業に、不妄語・不綺語・不悪口・不兩舌の四つが口業に、不慳貪・不瞋恚・不邪見の三つが意業にあたります。おもしろいのは、十の戒めのうち身・意の二業に関するものは三つであるのに対し、口業に関するものは四つもあります。如何に私たちの言語活動というものが仏の教えを守り実行するために障害となっているかがわかります。
思えば、仏さまの教えというものは口にできないものであり、修行者が直観するものであります。しかし、より多くの衆生を救うためには説法、つまり言語表現に頼らねばなりません。ですから、言語活動というものも大乗の教えには必要不可欠なものであります。
 ここでは四つの口業に関する十善戒の中でも、不悪口について申したいと思います。誰でもそうですが、人の悪口というのは聞いていて決して心地の良いものではありません。況してや、自分のことを言われているのかと思うと誰しも気分を害することでしょう。誰かの悪口を言う人は、きっと他のところで、他の誰かと、また別の誰かの悪口を言っていることでしょう。それはもしかすると自分のことかもしれません。そうだからといって、疑心暗鬼になり人を疑ってかかれというのでは決してありません。十善戒のなかにもあるように、他人を悪く言わないこと、また他人を悪く思わないこと、これが肝心です。他人を悪く言うことほど簡単なことはありません。反対に、他人の良いところを見つける、これは案外に難しいことです。しかし、それができて初めて仏教徒たり得るのでないでしょうか。なぜなら、十善戒のなかに不悪口があるからです。
 人生は常に修行、楽しいこともあれば、当然おもしろくないこともあります。しかし、おもしろくないからといって他人を責め、悪口を言うのではなく、寧ろ他人の良いところを見つけ、心朗らかに過ごしていけたら、自分自身の人生がより良いものになるのではないでしょうか。端くれではありますが、私も仏弟子の一人として、十善戒を守っていかねばなりません。

合掌

(日高 誠道)

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