信仰―法話コーナー


法話

念念(ねんねん)勿生(もっしょう)疑(ぎ)【2011年7月の法話】

 今年五月、ご縁をいただいて中国の普陀山にお参りする機会をいただきました。普陀山といえば中国の四大仏教聖地のひとつであり、云わずと知れた観音さまの聖地・観音信仰の総本山ともいえる場所です。大都会上海から五時間近く車で走ったところから、普陀山へは船で十五分近くをかけて渡らなければなりません。本土と陸続きではなく船を使わなければ行くことができない点、また信仰の島であり、しかも観音さまに関係のある島という点では宮島とも似た雰囲気のあるところです。
 さて、普陀山内には数ヶ寺のお寺がありますが、今回の旅の目的はそのなかの一つ「宝陀講寺」の開眼法要に参列するためでした。広大な境内を埋め尽くす程、世界中の仏教国から多くの方々がお参りになっていました。気温二十度後半の日差しが照りつけるにも関わらず、人々はご本尊さまのご威光をいただこうと日差しのなか一心にお参りされていました。
 そして、普陀山で最も印象的だったのは、朝課(朝のお勤め)に参加したことです。朝早いのにも関わらず、お参りに来られた人々でお堂はいっぱいになりました。一時間くらいのお勤めのなか、人々は僧侶の読経に合わせ、ひたすら五体投地の礼拝を続けていました。何か強い祈願があってお参りされている方もいるのでしょうが、一心に観音さまにおすがりする人々の姿は、まさに敬謙な祈りというべきものでした。
 わたしたちが生きていく上では、なかなか乗り越えられないような困難なこともあります。勿論、そうしたときには解決のために努力しなければなりません。しかし、努力しただけではどうしても解決できないこともあります。だから人々は神仏にお参りするのではないでしょうか。
 我々が日常的にあげるお経のひとつに『観音経』という経典があります。様々な困難なできごとに遭遇したとき、一心に観音さまのお力を念ずることによって、忽ち助かったという例え話がでてきます。そのお経の終わりに「念念勿生疑」という言葉がでてきます。書き下すと「念々して疑いを生ずることなかれ」となります。神仏に対する謙虚さ、敬謙な気持ちというのは、この姿勢に尽きるのではないでしょうか。普陀山で一心に観音さまにお参りする方々を見て、改めてその大切さに気付かされました。
 この気持ちがあれば、神仏も必ず思いを酌んでくださいます。忽ちとはいかなくても、少しずつ良い方向に向うはずです。日々「念念勿生疑」の気持ちを忘れずに過ごしたいものですね。
合掌

(日高誠道)

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