信仰―法話コーナー


法話

出会い【2011年6月の法話】

私の三十三歳の誕生日は、高野山の修行道場で迎えた。
 朝はまだ日が昇らない内に起床、水をかぶり、懺悔礼拝して、一日中ひたすらに真言とお経を読誦した。標高約八〇〇メートルの山上の朝夕は、夏場でもことさらに冷えた。冬場はなおさらである。それまでを不摂生に生きてきた私の身には、正直修行はこたえた。そんな中、多くの仲間とひとつ屋根の下で寝食と苦楽をともにし、皆が祝ってくれた誕生日は、私には今もなお格別のものとなっている。多くの菩薩に出会った。
 まだどこか戦後のにおいのする風景が周りに残っていた時代に、商家に生まれた私は、両親のおかげで不自由することなく、高度経済成長とともに育った。物質的に豊になるのが幸せになることだと信じていた。無論、信仰心は一切なかった。
 二十歳の時、さんざん迷惑をかけてきた父が突然亡くなった。稼業を継ぐ為働き出して初めての夏の休暇に、実家で父と一緒に酒を酌み交したのが今生の杯となった。駆け出しの私の話を嬉しそうに聞く父の姿は、今も忘れていない。
 まだ若かった私は、父の死を受け入れることは容易ではなかった。やりきれない思いは、全て仕事に向けられた。青臭い未熟な考えとやり場の無い葛藤が、多くの衝突を生む事となり、母に迷惑をかけた。
 迷いを繰り返しながら、導かれるようにお寺に法縁をいただくようになった。
 お寺に来られる方々は、いつも穏やかでそれでいて熱心であった。同行の信者さんに心ほだされながら参る寺は、いつしか私にとって虚しく往きて実ちて帰る場所となった。ありがたい、もったない、自分のようなものにでも平等に接してくれる。いつのまにか私はお不動さん(通うお寺の本尊さん)に、すっかりと魅了されてしまっていた。今思えば、亡父のおもかげを仏様の中に求めていたのかもしれない。
 そんな折、ご住職から「得度してみないか?」と勧められた。内心は二つ返事であったが、稼業を捨ててまでとは思っていなかった。「いやいや名前だけだから、それにあなたの僧名はもう決まっているからね」と、笑顔でいわれた。何かから開放されたようで、正直嬉しかった。日を置かずに返事をさせていただいた。
 人が生きていくためには、楽しいこと、うれしいことよりも、苦しいこと、つらいこと、思いどうりにならないことのほうがはるかに多いように思える。
 お大師様が自ら記した「恵果和尚碑文」の中で、

『冒地を得難きには非ず。この法に遇うことの易からざるなり。』

とあります。真言密教の教えに出会うことができた喜びに比べたならば、冒地すなわち悟りを得ることが難しいとかは問題ではない。
 汗をたらし、涙を流し、ときには傷つきながら、人生の苦しみ、世の中の矛盾に徹底して悩んだ者こそはじめて、無上の法と出会う喜び、その出会いこそがそのまま救いであり、悟りそのものである。と、お大師様は言いたいのではないだろうか。私には、そう思えてならない。
 人生の苦しみの岩の角に頭を打ちながらも、多くの出会いに導かれ、今の自分がある。おそらくこれからも、頭を打ちつづけていくのであろう。とは言っても、願わくば頭を打たずに前に進みたいものである。
合掌

(酒井太観)

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