信仰―法話コーナー


法話

感謝をする謙虚な心【2011年2月の法話】

「人は皆、謙虚な気持ちを持つことが大切だ」とある方から言われたことがあります。
 以前聞いた話でありますが、最近では学校給食の時間に「いただきます」と言わない子供(また、そのように子供を躾ける親)がいるそうです。その理由というのが「給食費を払っているのだからいただくわけではない、お金を払っているのだから給食を食べるのは当然のことだ」というものだそうです。いくら自分がお金を払っていても、食事をいただくことには変わりありません。それが言えないというのは、食べ物に対する感謝の気持ち、そしてその背後にある調理をした人に対する感謝の気持ち・生産者に対する感謝の気持ち・天の恵みに対する感謝の気持ち、ひいては食事を食べられるということ自体に対する感謝の気持ちが欠如しているのではないでしょうか。感謝ができないというのは、謙虚な気持ちをもっていないからでしょう。謙虚であれば、感謝の気持ちも生まれます。現代では何もかもが当たり前のことのように思い込まれがちですが、当たり前のように思っていることは実は当たり前ではなく、有難いことなのだということに気付くべきではないでしょうか。謙虚な気持ちをもてば、「してあげる」から「させていただく」、「してもらう」から「していただく」というようにお互いの考え方も少しずつ変わってくるはずです。
 さてここからは自省の念を込めてのお話ですが、私たちは三鬼さんの月参りをされる方々をはじめ、お参りに来られた方々をお迎えする立場にあります。謙虚な気持ちを持って皆さまをお迎えすれば、「お参りに来ていただいた」となるわけです。当然、神仏に対する信仰は強制されるものではありません。ですから、お参りに来てもらうのが当たり前なのではなく、お参りに来ていただくというのはとても有難いことです。一方、皆さまにも謙虚な気持ちをもってお参りしていただきたいと思います。単にお参りに来たというのではなく、お参りさせていただくという気持ちをもっていただきたいのです。仏さまへのお参りもご縁(仏縁)がなければできることではありません。神仏に対して、疑いの心なくただ只管に念ずるという謙虚な気持ち、そして感謝の気持ちをもってお参りするならば、あれもこれもお願いしようという欲はなくなり、自然と感謝の気持ちも大きくなるでしょう。
 全ては互いの心の持ちよう次第です。「我が我が」と我を張らず、一歩ひいて謙虚になれば、今まで見えていなかったものも見えてくるのではないでしょうか。
合掌

(日高誠道)

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