信仰―法話コーナー


法話

ありがたいご縁【2011年10月の法話】

「さよなら、さよなら、いろいろお世話になりました。いろいろお世話になりましたねえ」と書き始めの詩は、私と同郷の中原中也の「別離」という詩です。むかしからの仏教の教えで「およそ始まりあれば、終わりあるは、世の常、誰かまぬがれらん」と諸行無常を説いています。私は今年の六月に、十五年間所属した消防団を退団しました。軽い気持ちと言うよりも、正直嫌々で入団した消防団でした。思いみれば、我ながら割と長く所属したものだな、と思いました。これだけの期間やっていると多くの知り合いが増えました。決して楽しい事ばかりではありませんでしたが、学ぶ事もあり、今思うと入団した事は間違いはなかったと思います。人との出会いは、一期一会。その出会いは今の私にとって掛け替えの無いものになっています。出会いや巡り合わせは、人と人だけではなく、宗教や場所、ペットや愛着のあるもの全てだと思います。私達の「ご縁」は、目に見える事が出来ません。不思議なもので「ご縁」が結ばれますと、自分の意志で終わらす事も出来ますし、意志とは関係無く終わる「ご縁」も有りますし、努力してつながる「ご縁」も有ります。目には見えない「ご縁」ですので、日頃から大切にしておかなければなりません。小学生の頃、下校する際は「さようなら」と言う様に指導されました。そしてある時期からは、私的には「さよなら」は決別の言葉だと感じ始め「別離」を読んでからは、より一層そう思う様になり、今では親しい人や、ご縁をつづけたい方には、「さよなら」は使わない様にしています。私達には、偶然、必然の出会いがあり、多少の差があっても全て意味あるものです。たとえその縁が好まないとしても続けていると、必ず、そこには答えがあります。人が生きていく上で、縁の中から見つけ出した物に人生のヒントがあるはずです。そのヒントに気付いて、それを生かしていければ人の悩みや苦しみを少しでも軽く出来ます。観音様の功徳は抜苦与楽ですが、ただ漠然と祈ったり思ったりするだけでは願いは叶いません。もしそれで叶ったと思えるなら、それは、仏様からの問題提起をされたのだと思います。失敗や精進をくり返して、私達の思いと仏様の教えと仏様の力が一つになった時に、願望成就するのです。そこで得た喜びは本物であり満足いくものです。その事により、本人も周りの人も喜び、その笑みをご先祖様や、仏様も見て喜ばれるのです。

(福嶋範道)

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