信仰―法話コーナー


法話

ひとの幸せ【2010年9月の法話】

「隣の芝生は青い」という言葉がありますが、「あの人はお金持ちで幸せそうだ」とか「あの人は豪華な家に住んでいる」といったように、人は誰しも少なからず他人の境涯を羨んだり、かたや自分の境涯を嘆いたりするものです。しかし、仮に自分が欲しくて堪らなかったものや他人が羨むような地位や名誉を手に入れたとして、果たしてその結果は本当に幸せといえるのでしょうか。我々はあたかも地位や名誉といった肩書きを持つことや財を含む物質的な豊かさこそが幸せの基準であるかのように誤認してはいないでしょうか。ここで幸せの基準と申しましたが、そもそも、ひとの“幸せ”とは何なのでしょうか。
 さて、私たちにとって最も身近で親しみのあるお経のひとつに般若心経があります。周知の通り、般若心経のなかには「空」という語が何度も出てきます。ごくごく簡単に言えば、「空」とは概念を離れること、ものごとに執着しないことを意味します。少し難しい話になりますが、形あるものにとらわれるな、また形ないものにもとらわれるな、更にはその「とらわれるな」ということ自体にもとらわれるな、ものごとのありのままの姿を見なさいというのが空の教えです。
 私たちは他人を見るとき、「お金持ちだから、或いは地位や名誉があるからあの人は偉いのだ」とか、それとは逆に「この人には地位や名誉がないから自分よりは劣っている」というように、ありのままのその人の姿を見ずに肩書きや物質的豊かさだけで、ひとの価値を判断してはいないでしょうか。勿論、社会生活のなかで他人に接する時には、立場を踏まえたそれ相応の行動も必要となるでしょう。しかし本来的には、ひとの価値は平等です。ひとには優劣も尊卑もなく、みな平等なのです。肩書きなどは仮初めに人に付随しているだけのものであり、それらは決してその人そのものではありません。ですから、ひとの幸せも肩書きや物質的な豊かさなどといったものだけで計れるようなものではありません。そういった肩書きなどを捨て去ってしまってもなお幸せだと感じることができれば、それが本当の幸せといえるでしょう。そして、それこそが心の豊かさということです。たとえ物質的に豊かであっても、心が貧しければ決して幸せとは感じることはできないでしょう。逆に物質的にはそれほど豊かではなくても、心が豊かでありさえすれば小さなことでも幸せを感じることができるはずです。
 幸せに生きるため、心豊かに生きるためには、他人の境涯を羨むよりも自分の境涯を嘆くよりも、空の教えを知ること、それは肩書きや物質的なものに対するこだわりを捨て去ってしまうこと、ものごとのありのままの姿を見つめることが大切なのです。
合掌

(日高誠道)

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