信仰―法話コーナー


法話

日常に学ぶ【2010年8月の法話】

以前私が買い物に行った時の事です。
 お休みを頂き市内まで行こうと市電に乗ったのですが、その日は休日だった為か、たくさんの人が車内に居られて座る事が出来ない状態でした。
 電車に揺られて数十分経った頃、乗って来たお客さんの中でふと目に止まる方がいました。その方は見た感じ七十歳過ぎのおばあちゃんで、腰がくの字に曲がっていて足元しか見えていないようで、歩くのがとても大変そうでした。
 大丈夫かなとその方を横目で見ていると、おばあちゃんはゆっくり歩いて若者の前に立ちました。
 おばあちゃんの前に座っていたその若者は、今流行りとでも言いましょうか。ズボンを下げて腰で履き、大きいシャツを着る、以前オリンピックスノーボード日本代表選手でも騒がれましたが、つまり、だらしない雰囲気の格好をしていました。
 気になっておばあちゃんの方を見ていると、その若者が突然「おばあちゃん、ここに座りなよ。」と言って席を立ち、おばあちゃんはその行動に少し戸惑いながらも「ありがとうございます。」と笑顔で言って、譲られた席に座りました。
 このやりとりを見た瞬間、私はとても嬉しくなりました。見た目の印象というものは必ずあるものです。だらしない格好をする者はだらしない心をしているのではないかと。ですが彼には布施の心がありました。良い行いをただ頭で理解するのではなく、それを行いとして世の中に現した彼の行動に感動し、気付けば自分が笑顔になっていました。
 そしてそれと同時に一つの事に気付きました。今自分は、他人が他人にした行いを見て嬉しくなった。つまり幸せになったのだという事。
 人は皆幸せになりたくて生きています。なぜなら不幸になりたい人間なんてこの世の中にはいないでしょう。ではどうすれば幸せになれるのでしょうか。
 私は、どんな小さな幸せであったとしても、それに気付き、その幸せを掬い取って自分の物にできるという心を持つ事がその第一歩なのではないかと思います。
 赤ん坊が笑いかけてくれた時嬉しくなったり、アスファルトを割って咲いた花を見た時その力強さに感心したり、感動できる出来事というものは何気ない日々の日常に溢れています。ただそれは自分の心の有り様で見逃してしまう事があります。
 自分の心を養い成長させ、広い心を持ち、たくさんの幸せを皆様が掬い取る事ができます様、心よりお祈り申し上げます。
合掌

(虻川義照)

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