信仰―法話コーナー


法話

真っ直ぐ【2009年9月の法話】

最近は車に、カーナビが付いている事はめずらしい事ではなくなりました。都会では、あまりありませんが、少し田舎の方に行くと、カーナビが、「この先直線十キロです。」なんてこと珍しくありません。車を安全運転に心掛けて直進する事は、日頃運転してる方には難しくない事ですが、真っ白な紙に定規を使わず、真っ直ぐな線を書くことは難しいです。先般も弥山で勤務している時に雷鳴り、閃光を放っていました。山の上で見る雷は、目の高さと同じ位で閃光を放ってました。その光は蜘蛛の糸の様に真っ直ぐでなく、まるで人の手に浮いた血管の形でした。自然の脅威の雷でさえ、真っ直ぐに落ちる事は難しいのですね。私にお経を教えてくださった方から、「経は、立て板に水が滴り落ちるように、節をつけずに読む」と教わりました。しかし、経を読めば読むほど自分なりの読み癖ができ、本来の正しい読み方が出来なくなってます。

これは人の生き方に似ていると思います。誰もが生まれたままの純粋な気持ちで生きていけたら、真っ直ぐに生きることなんて、ここで書かなかったはず、人や社会にもまれ、その中で生きていくには、どうしても行きぬく術をえなきゃなりません。それは仕方のないことでもあります。人が人生をまっとうするのは、並大抵でない事です。だからこそ仏教の教えがあるのです。それもこうだと、一つ決め付けるのではなく、「こうもありますよ、こんなんもありますよ。」と教えてくれる。先ほどのカーナビもそうなのですが、行き先を指定しても到着指定付近で案内を終えます。仏教の教えも同じように、行く道を間違えたら、新しいルートを考え指示してくれ、いくら間違えても何度も助けてくれます。その教えは、いつの時代にも、マッチして、決してぶれる事なく、真っ直ぐな教えです。そして最後のゴールは自分で見つけなさい。と言うところは同じなのですね。

 

(福嶋範道)




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