信仰―法話コーナー


法話

御供養【2009年10月の法話】

以前私が高野山にて修行をしていた際に、「供養とは器に注がれた水を戴くようなものである」という話を聞いたことがあります。
 まず水は、私達人間にとって欠かせないものです。それは木、草、花そして一匹の虫にいたるまで同様で、まさに生命の根源たる物といえるでしょう。
 川を流れる水は、刺々しい石を丸く円満に削る力があり、また雨を想像していただいた時に、雨樋から伝わって落ちる一滴一滴の水の滴というものは、非常に長い時間をかけてですが岩に穴をも開ける力があります。一瞬の見た目には分かりませんが、確かにそこに力「功徳」というものが存在しているのです。
 その功徳「水」をお供えしようとした時に、この自身の手では水は指と指の隙間から流れ落ちてしまい戴く事が出来ません。

そこで必要なのが器なのです。この器とは亡くなった方々の縁者である皆様が一心に手を合わせその御心を寄せるという行為の事。
  皆様の「想う心」というものが功徳の受け皿となって現れた時、初めてその器に功徳の水が溜まり、それを御供えすることで供養となるのです。
 私達の家族、ご先祖様との繋がりというものは一本の木に例えられます。現世に存在している私達は「葉」親が「枝」でありさらにその親が「幹」「根」というように。ご先祖である「根」を疎かにして我々「葉」が栄える道理はありません。我々が現世にて功徳を積み、その栄養を根に届ける事によって初めて私達「葉」が元気に美しく栄える事が出来るのです。

代々のご先祖様を辿ればそこには何百、何千人もの方がいらっしゃいます。そのどなたが欠けても私やあなたはここに存在していません。私達が今、現世に生きているという奇跡を与えて下さった代々のご先祖様を供養する事はより良く生きる上で非常に大切な事なのです。
 皆様がこれから人生を歩んで行かれるにあたって、縁者の方々の供養をする場面は必ずあります。その
時、このお話を思い出し「一心に想う」という事を心に留め、御手を合わせて戴きたいと思います。
                                                              合掌

 

(虹川義照)




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