信仰―法話コーナー


法話

■命の重さ【2008年8月の法話】

日頃、慌しく生活をしていると忘れている事が沢山有ります。先日も友人と話していて、その友人が、「この頃、暑いから犬が、夜中に涼しい外に出してくれと起こされるのが辛い」というのを聞いて、私が「この時期、外に犬を出すと、蚊にさされるのではないの?」と言った時に、ふっと、むかし、子供の頃に、飼っていた犬が、蚊にさされて腹水がたまり死んでしまったのを思い出しました。

この犬は、うるさい位鳴く犬でした。小学六年生位だった私は、学校から帰ったらすぐ犬を連れて、裏山に散歩を兼ねて遊びに行ってました。中学、高校と進むにつれ、家に犬はいるけど、無関心になってしまいました。大学に行けば余計に離れてしまいました。休みに帰省した時に、調子が悪いと聞いて見にいったら、そういえば、いつもうるさかったのに、静かだなぁ。と思う程度でした。そんなある日、下宿に居たら、母から、連絡あって、「死んだよ」と聞きました。次の休みで帰省すると、父に「ここに埋めたから、手をあわせてあげなさい。お勤めしておいたから、次はもっと幸せに生まれてくるよ、きっと」と言われ手を合わせましたが、「あっ、そうか居なくなって寂しいかな」位にしか思えませんでした。今、私も多分人生の折り返しを過ぎて、その事を思い出すと当時とは違う感情があります。今は、寂しいと言うよりは、感謝の気持ちでいっぱいです。

あれから、私も僧侶になり、たくさんの「死」の場面に遭い、また、ニュースなどで、寂しいから、報われないからと簡単に人を、勢いや、欲求で殺したり、害を加えたりしたりします。そんな人は、生き物と生活を共にして、命の重さを感じて欲しいものです。私も犬の話を思い出した時に、その犬に助けられた事を思い出しました。

友達と遊べない時や、親に叱られた時に、長い時間をよく一緒に過ごしました。犬だから言葉を喋ることはないのに、心癒された事を思い出しました。喋らない犬でも、こんなに助けられるのですから、大切な人を失った喪失感は、なおさら大きいものです。

最近は命を軽く見ている傾向がある感じを受けます。昔から、よく言われていますが、人は誰一人、独りで生まれてきた者はいない。と言われるように、その人の周りには、必ず誰かがいて、大切に思ってくれる人がいます。ですから、先祖と、周りに居る大切な人に対し感謝などを持てれば、暗い事件が少なくなり、人それぞれが、幸せを感じる事が出来ることと思います。我々の暮らす日本には、昔からいい習慣があり、お盆やお彼岸にお墓参りをします。まずそこから、きちんと見つめ直してみませんか。

(福嶋範道)



戻る 

NMJNet Market Japan Corp.