信仰―法話コーナー


法話

■我儘【2008年2月の法話】

先日、故郷に帰ったとき、一人のある老人が、路傍で泣いておられました。「わしは八十才になるが、生きるのがもういあやになった。昨日、久し振りに一番風呂に入った。まことに気分壮快で、ああ、長生きしてよかったなあ、ありがたい。」と感謝しながら風呂場を出ると、いきなり、風呂の湯が抜かれた。びっくりすると、「老人の入浴したあとの湯はきたない。病気になる。」と我が息子のことばが返ってきた。

側にいた老婆が、「おじいさん、今度、二人でゆっくり温泉にでも行きましょう。」と、なぐさめていた。

物豊かにして心なしとはこのことをいうのでしょうか。世の中、自分勝手には生きられない事は、誰でも百も承知です。承知しながら自分勝手、自分本位の振るまい、それが、我儘なのです。今ある自分は誰のおかげか、父母の恩を頂いて、この世に生を受け、多くの人によって助けられ、あらゆる恵みによって育てられ、生かされて、生きている。この尊いご縁の結晶を忘れるのは、ご恩ある老人に、ましてや親に対する態度ではありません。老人の生活に、よろこびと、うるおいと、楽しみ、そして生きる活力を与えてくれるもの、それは入浴なのです。貧しかった時代、何を食べてもおいしかった。お金はなくても、家族に守られ、心は幸せであった。物豊かな生活に慣れた今、何を食べても、何を作っても、何をしても、不満と小言が多く、欲しいものは何でも手に入る生活により、人は、自分と他人の区別、善悪の区別すらつかない、欲望と我儘だけが肥大し、自分を見定めることのできない、心の貧しい病人になりさがってしまいました。なんと悲しむべきことでありましょう。

老いて後 思い知るこそ 悲しかれ
この世にあらぬ 親の恵みを
仰げばおつる 涙かな


(本特寛俊)

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