信仰―法話コーナー


法話

■一期一会【2007年12月の法話】

平成19年もあと残す所一ヶ月で終わろうとしています。皆様はどの様な一年であったでしょうか。良き年でしたか?又、悪い年だったでしょうか?色々と声が聞こえて来る時期になりました。又、人の出会いはどうでしたか。日々の出会い、新しい出会い様々あると思います。

私の好きな言葉があります。
中学校卒業の時、担任の先生が教えて下さいました。
『仏教の言葉で、“一期”とあります=一生涯の事です。“一会”とあります=法要など大切な会です。二つを合わせて「一期一会」と言います。昔、茶道の千利休の弟子で山上宗二が茶湯者覚悟十体の文中で、何度同じ客と茶会をしても今日の茶会は二度と帰っては来ないと思へ、自分にとって一生に一度のものと思いなさいと書かれています。つまり、人の出会いは、やり直しがきかない一生に一度のものであるから、その貴重な時間を後悔が残らない充実したものにして下さい。今、卒業にあたり茶道の心得にもなっているこの言葉を君達に最後に教えます。』と先生が話されました。
当時は、もっと早く教えてくれたら、充実した中学校生活が送れたのに…と思っていました。

あれから二十数年、数秒数分での人との出会い、一時間・一日・何年と続く出会いや、学校・会社・町内・家庭など様々な人との出会いがありました。
ふり返ると大切な出会いがありましたし、また反面、自分にプラスになっていたのに大切にせず別れてしまったと後悔している所もあります。

宗祖弘法大師はこんな言葉を残しておられます。「虚しく行きて、充ちて帰る。」密教の正しい教えは、中国の唐に行かなければ学べません。師を求め、その奥義を尋ねる為、入唐求法の旅を決意されます。しかし、当時の船で中国に行けるか、行っても師より教えてもらえるか、希望と不安で旅立たれました。中国でも、密教の第一人者恵果阿闍梨には門弟が数千人もいて、会う事すら難しいと言われていました。阿闍梨のおられる青龍寺の門前には、毎日のように足を運ばれましたが、直接教えていただく力がないと、門前より虚しく帰られ、大師は梵語など様々な勉強をされ、初めて阿闍梨に会われた時、「何故、もっと早く来なかった。でも、会えて嬉しい。密教の全てを授けましょう。」と言われたと伝えられております。阿闍梨は密教の全てを門弟が数千人いる中で、大師に授けられその数ヶ月後阿闍梨は亡くなられました。
大師は日本に密教を持って帰られ、心は大変充ちていたと言われました。大師は、恵果阿闍梨との出会いは、やり直しがきかない、一生に一度の機会を後悔の残らないよう、教えを受けられる充実した環境を整えられたのです。この事こそ、大師にとっての一生涯の運命の出会い、一期一会ではないでしょうか。

私は僧侶として、大師の教えを受け、出会いを大切にする心・人を敬う心・自ら学ぶ心を私の中の一期一会として持ち続けて行きたいと思います。

南無大師遍照金剛

(小野湛海)


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