信仰―法話コーナー


法話

大事な笑顔【2007年5月の法話】

子供が元気に学校から帰宅して、まず母親の顔を見に行きます。それは、子供が母親のあたたかい笑顔を見て安心するためでしょう。これは、子供だけに限ったことではないはずです。私達の日常の生活においても同じこといえますが。家庭、職場、学校においても同様に、上司の機嫌はいかがかな?先生は怒っているかな?と気になってしまうものです。ましてや、自分に不安や、原因がある場合などは特にそうだと思います。

たとえば、体調がおもわしくなく、病院を訪ね検査を受けて、その結果を診断してもらう時に、医師はそのつもりでなくても、しかめ面で、「大丈夫、問題ないですよ。」と言われても、「本当に大丈夫なのかな、実は悪く、自分には本当のことを教えてもらえないのでは?」と勘繰ってしまいます。逆に、満面なる笑顔で、「大丈夫ですよ。一緒に頑張りましょう。」と言ってもらうと「先生が言ってくださるのだから大丈夫」と感じてしまうものです。

これは、私達僧侶も同じで、日々、様々な方々がお参りに来山され、色々な祈願や供養をされます。その方々は、日々の不安や自分ではどうしようも出来ない悩みを抱え苦しんでいます。だから、仏神の力を借りて祈願や供養をしたい訳です。これは、特殊なことを指しているわけではなく、どこにでもあることです。それは私達が社会生活していく上で、調和を大切にしているからです。

私達は、地球という星で生きており、皆が一つの輪で繋がって社会を形成しています。そのような日常生活で、意図したことと違って受け取られたり、反対の意味に解釈されたり、自分では普通にしていたのに誤解されることがあります。

大聖院には、言葉の通じない外国の方も多くこられます。向こうの方もよく分からないから私達を見ると、先ず笑顔をされます。この笑顔により空気が和む気がします。

私達が仏様にお願いをすると、仏様は助けにこの世に来られ、お姿を現される時には、足元に蓮の花が咲くと言われます。蓮の花は、泥の沼でも綺麗な花が咲くので、いくら汚れた衆生でも救いに来られることを表しています。「心の中に仏様がいる」と弘法大師がおっしゃっておられる様に、日頃から、笑顔を大切に生活すれば、角のない調和のとれた生活が送れるのではないでしょうか。


(福嶋範道)

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