信仰―法話コーナー


法話

桜 【2006年3月の法話】

三月二十一日は弘法大師空海が御入定された日であり、この日には真言宗の各寺院で正御影供が勤修されます。本山仁和寺においても山内の僧侶と一年間の修行を終えた学院生が最後の法要を努めます。私も四年前にここで修行いたしましたが、とても感慨深いものでした。
修行僧の生活とは朝は五時に起床し勤行、院内掃除、朝食は粥に味噌汁で食事作法に則って食します。昼は食事の後境内のお堂の掃除、夕方にはまた勤行。それ以外の時間はお経だったり作法や書道など僧侶になったときに必要なことを学びます。
修行の方法は寺によって様々ですが、本山では集団で行ないました。ひとつ屋根の下、十数名の年齢も経歴もばらばらの人間が各県から集い、壁一枚で区切られた三畳の部屋を与えられ生活のほとんどの時間を共に一年間過ごすのです。
日常の生活から離れ、ほとんど同じリズムで皆このような生活をするのですから、ちょっとした事でいざこざもしばしば起こります。特に本格的な修行に入りますと、行法の時間が二時間から長くなると五時間近く座り続けることもあり、風呂、食事、睡眠時間がどんどん削られていきます。時間に追われ、空腹感、眠気に襲われ、さらに集団での修行ですから一人遅れると皆を待たせることになり、待つ方は苛立ち、待たせる方は焦り、双方気遣う気持ち、精神が極限状態になる者が出てきます。
このような状況の中でも個々に何かを得ようと行に取り組むのです。長い修行も終わり、成満を迎えた行者の顔は以前より穏やかになるといわれています。厳しい状況下でも他を気遣い、共に苦しみを乗り越えた者だけが得られるひとつの境地です。
そしてまたそれぞれの家庭、自坊、職場に戻っていくとまだ行は続いていることにきづくのです。どの場面においても人それぞれ厳しい状況に於かれることはあります。
お大師さまの言葉に「衆生尽き、虚空尽き、涅槃尽きなば我が願いも尽きなん」とあります。人の悩みは尽きることがないであろう。しかし私は衆生がすべての悩みから解放されることを願い続けるであろうと。
源流であるこのお大師さまの教えは今現在でも様々な場面で私たちを導き、支えてくださいます。この大河の流れの一部である私たちは分枝した小さな川として人々の苦しみを少しでもやわらげ、大河に導く担い手になれればと思います。
苦しいとき辛いときこそ、そっと手を合わせ、心を静める時間をほんの少しでも作ってみてください。お大師さまが近くで見守ってくださっていることを感じることができるでしょう。フッと気持ちが楽になるはずです。
まだまだ修行は始まったばかり。御室桜はまだまだ蕾が固く寒さをしのいでいます。
この時期になると行を終えて間なしの頃を想い返し、初心に立ち返ることができます。
(亀井山 法秀)



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