信仰―法話コーナー


法話

百七十円のありがたさ【2006年1月の法話】

最近の私達の身の回りから「もったいない」とか「ありがたい」などという言葉がほとんど聞かれなくなったような気がします。そんな中、私は、昨年、貴重な、そしてたぶんほとんどの人が体験したことがないようなことを経験しました。
ある夜、食料の買い物に宮島から本土のスーパーマーケットに行こうと、宮島航路のフェリーを待っておりました。その時、丁度友人が通りかかり、手こぎボートでそこまで連れていってあげるというのです。私はこんな暗い中、本当に大丈夫かと思いながらも、いっしょに行こうというので、それに乗せてもらうことにしました。行きは、その友人が、何のストレスもなく、簡単そうにスルスルとボートをこいで、たった二十分で着いてしまいました。
さて、買い物の帰りであります。その人は「連れて行ってあげると言ったが、連れて帰るとはいってない。今度は連れて帰って下さい。」というのです。私は生まれてこの方、ボートのオールは持ったことがないし、もちろんこいだこともございません。話が違うと思いながらも、帰島しようと思えばこの方法しかありません。仕方なく初めてオールを持ちボートをこぎ始めました。こうすればよいのだと説明を聞き、その通りにやっているつもりが、前になかなか進みません。あろうことか、目的地である宮島に近づくどころか、あらぬ方向へ進み、また、その場でグルグル回り、カキいかだにはぶつかるは、転覆しそうになるはでほとほと困り果ててしまいました。「交替して下さい。」と頼んでもその人は決して替わろうとはしません。ふと気付くと一時間は経っており、まだ宮島は遠くに見えます。手にはマメができ、全身は疲労でガチガチに痛んでいます。それでも何とかたどり着き、ため息をついた時には、何と三時間もかかっておりました。皆様は、ご存知のように、フェリーは片道十分、百七十円で、乗船することができます。私は、この時ほど、百七十円は「ありがたい」と、本当に心の底から思ったことはありませんでした。
現在は物質文明、物だって、乗り物だって食べ物だって満ち溢れています。その辺の野良犬も野良猫も、私達同様、糖尿病だ、肥満だとさえいわれています。
平成の世を見てみたら、人心は荒廃しきっているし、考え方も短絡的で、刹那的であるように思えます。簡単に信仰に入れば、悩み苦しみがすぐ解決できたり、超能力を身につけることが宗教だと思っている人がいかに多いことでしょう。自分の毎日の生き方を反省したり、静かに心落ちつけて冷静に物事を見たり、判断したりする習慣がなくなってきたのでしょうか。
人生いくらもがいても、悪あがきをしてもなるようにしかなりません。現実の生活を真正面から受け止めることが大切であると思います。山と語り、海と語り、渓川のせせらぎに耳を傾ける心のゆとりが欲しいものです。
(本徳 寛俊)



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