信仰―法話コーナー


法話

苦しまぎれ【2005年9月の法話】

暑い、暑いと言うと気が滅入ってしまいそうで、とても暖かいですねと言い、気をまぎらわせながら、どうにか今年の夏も乗り切ることができそうです。
先日、あるお寺の掲示板に「苦しみがなくなるのではない 苦しみでなくなるのだ」という言葉がありました。意味を考えつつお参りを済ませ帰宅し、早速家族にこの言葉の意味をどういう風に解釈するか聞いてみました。
すると弟から面白い答えが返ってきました。
「お母さんに、部屋を片づけなさい!勉強しなさい!と言われ、最初の内はいちいち腹が立ってイライラして苦しんだけど、これが毎日続くとその口うるささに慣れて、また言っとるわ!と思うようになると苦しみではなくなる。いい例えだろ。」と、
確かにそうだと兄弟で意気投合し大笑い。それを聞いた母が黙っている訳はなく、
「そういう意味ではないでしょう。口うるさく言われて腹が立っても後で冷静になって考えてみれば、それは自分のことを考えて言ってくれている親の愛情に気付き、感謝の気持ちが湧いてきて、苦しみでなくなるのよ!要は、気持ちの持ち様ってことでしょう。」
母の意見の方が答えになっていると納得しながらも、兄弟顔を見合わせ、
「でも、弟の意見も間違いではないだろ!例えばサッカーの練習だって最初はきつくて苦しくてもそれに堪えられるだけの体力、精神力がつけば苦しみでなくなるし、仕事だってそうだろ!」と。
皆さんはどう解釈されますか?
人間誰しも生きている以上色々なことで苦しみます。苦しみの影ではいつも仏さま、ご先祖さまが私たちの行ないを見守り、時に戒めを、時に手助けをしてくださいます。暑さ寒さも彼岸までともうしますが、慣れた頃には次の季節、次の課題が待っております。日々感謝の心を忘れず過ごして生きたいものです。
(油田 正光)



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