信仰―法話コーナー


法話

半分のペットボトル【2005年6月の法話】

大聖院では、四月一日より、土・日・祝日と「弥山眺望と史跡めぐり」と称して、観光の方々を宮島ロープウェーに一緒に乗り、弥山本堂、霊火堂をはじめ、三鬼堂や山頂へと、七不思議を中心としてご案内させて頂いております。これらの方々は、一般のご信者様とは違いまして、弥山登山ははじめての方がほとんどであります。若い方が多いのですが、中には、体力的に自信のない方、足の少し悪い方、妊婦さんまでいらっしゃいまして、歩くスピードなど、いろいろ気を付けなくてはいけない事が多いと思います。又、四月にしては気温が非常に高く、ゆっくり歩いても冬服がわずらわしいくらいに、汗がダラダラ流れる有様でした。
さて、登山といえば、当然の事ながら、水分の補給が必要不可欠であります。私の子どもの頃は、水筒を持って行くのがあたりまえでしたが、最近、大半の方は、水筒がわりに自分の好きなペットボトルを持って登山しておられるように見受けられます。ロープウェー獅子岩駅から、弥山本堂へ行く丁度中間のところに腰を掛けられるベンチがありますので、皆様には、ここで水を飲んでいただくようにしております。
ある時、一人の若干疲れぎみの女性が、ペットボトルの中味をグイグイと半分一挙に飲んでしまいました。
「あら、もう半分も飲んじゃったわ。まだ半分も登らなくちゃいけないのに・・・。」
この言葉で、他の方々は、少しがっかりされたように見えました。初めての弥山登山であとどのくらい残りがあるのかわからないのに、これでは登る気が失せてしまうではありませんか。
もう半分」「まだ半分」 これを全く逆に考えてみてはどうでしょう。ペットボトルの中味が「まだ半分もあるじゃないか。」登ってきた道が「もう半分歩いたじゃないの。」と思うのでは、周りの人たちに対しても、自分自身に対しても、二倍、いや、二乗倍違うのではないでしょうか。
人は、その人生の中で、苦しい事、悲しい事、楽しい事、おもしろい事、いろいろあると思います。残りの人生、長い人もあれば、短い人もあるでしょう。しかし、その捉え方 「もう」と「まだ」 で、有意義な人生にしようではありませんか。

(本徳 寛俊)



閉じる 

NMJNet Market Japan Corp.