信仰―法話コーナー


法話

春風の愛語【2005年3月の法話】

一月は「行く」、二月は「逃げる」、三月は「去る」といわれるようにあっという間に過ぎて行きますが、この時期は、年の始めと同時に春に向けての準備の季節でもあります。
ことしこそ!と毎年のように意気込んではみるものの、慌(あわただ)しさと時間に流されることの多いのは私だけでしょうか。
正月、節分とお寺へのお参りも多い季節で、受付にどっと押し寄せて来られる信者さんへの対応に追われてしまう毎日。始めは丁寧に、穏やかに受付けに勤めていても時間とともにその余裕が無くなり、イライラしてしまいます。後で「まずかったなぁ」 と反省しても「後悔先に立たず」でそのときに居合わせた信者さんは気分を害したに違いありません。
こちら側から見れば大勢の参拝者、ひとりひとりの顔、名前を一致させることは難しいですが、逆の立場であれば、その時に対応していた人間は私以外にいないのです。
あからさまに態度に出なくとも、人の心というものは言葉の節々、全体の雰囲気で伝わるものです。受付業務やご商売されている方に限らず皆、場所、相手を問わず、人と関わる上でこのようなことがあってはなりません。
ある旅館の亭主さんのお話ですが、京都にお店を構えていた頃、お客さんから「あなたは、料理だけでなく、言葉のご馳走をもてなしてくださるんですね。」と言われたそうです。なるほど、この亭主さんの振舞いを見ていると、確かに来られるお客さんに対し、ただ形式ばった上辺だけの言葉を使うのでなく、京都訛(なま)りの口調でお客さんそれぞれにあった言葉遣いをされていました。これはやはり経験のなせる業かもしれませんが、どんな人と接する機会があっても、日頃から心がけていなければできないことだと思います。
この度は言葉遣いに着目しましたが、真言宗には『三業』ということばがあり、身 (所作、行い)、口 (口から発せられる言葉)、意 (意識、心の持ち様)を表します。これらの使い方を善い方向に正していくことは最も重要な行のひとつです。
悪いニュースの絶えない、殺伐とした今のこの世の中だからこそ、互いを思いやり、感謝し、自分のできることからこの布施行を少しずつでも実行していただきたく思います。

(亀井山法秀)



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