信仰―法話コーナー


法話

煩悩即菩薩【2005年2月の法話】

時間が過ぎるのは早いもので、もう節分を迎えます。
正月から初詣の参拝者がたえず、三鬼大権現を祀るお堂では日夜ご祈祷が行われ、太鼓の音が境内に響き渡る。その荘厳な雰囲気のなか、参拝者は日常生活の悩みや苦しみ、さまざまなお願いを込め手を合わせます。
ほとんどの方は、現世のご利益を求め参拝していることでしょう。
真言密教は現世利益を祈るから駄目だと非難する人がいますが、人間はそれ程強くありません。
現実社会の諸問題を抱え生活している私たちは、なかなか他人のことを考える余裕はありません。
人は欲があるから神仏に祈り、仏に親近感を持つことができるのです。
だから神仏に現世の悩みや、自分勝手なお願いもして、自分をさらけだした方が良いのです。案外すっきりするでしょう。そこから出発すれば良いのです。
しかし、現世利益の祈りは、大一段階であることを忘れてはいけないのです。
自分勝手な願いから、もっと大きな願いに変わってくるでしょう。
自分の欲望を達成するための祈りから、他人の幸せを願う祈りに脱皮することが真言密教の祈りなのです、これを難しい言葉で言うと「煩悩即菩薩」の教えと言います。
密教は、人間の欲望を否定していません。欲望を殺すことは命の否定になるのです。
それよりも欲望を生かし、本来の生命力を育てることが大事なのです。

(池田 正光)



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