信仰―法話コーナー


法話

十円玉【2004年11月の法話】

 京都は一年を通じて大変観光の多い場所です。やはり史蹟や文化財の宝庫として世界中に知られているからでしょう。洛南の宇治平等院へも、観光バスが必ずといっていい程行きます。その時の案内人は、お客さんたちに向かって、十円玉を出して見てくださいと言います。この裏に描かれているのが、平等院鳳凰堂なのですと、何かのタネ明かしのように説明するのですが、お客さんたちは、「ほほう」とか「へーえ」「そうだったのか」と感心したり、驚いたりするのが常です。
 この御堂は、平安時代に、関白藤原頼道が宇治の別荘を寺にしたのが始まりだといいますが、こうしたことは、学校で教わってもいるし、一般にもよく知られているのに、それが十円玉の裏にあるのに気が付かないでいる人は案外多いようです。この御堂の周辺にはいろいろなお堂があり昔は大寺院だったのですが、たびたびの火災により昔の姿を伝えているのは、この鳳凰堂だけです。それだけに大変貴重な文化財です。この御堂は、夢のように美しい影を水上に映しています。戦後、永い間、修理が続けられて、やっと完成し、一般にも公開されて私も高校三年の時初めてお参りしました。本尊の阿弥陀仏も、この時代の代表的な彫刻として有名です。
 この平等院が描かれている十円玉もお金の中の一種類です。お金も使う人によっていろいろなものに変化します。例えば仏さんを一体奉納していただいたとします。お参りの方々がその奉納された仏さんのお顔やお姿を見て救われることもあります。又同じお金でも武器とか買うと目を覆いたくなるような事件が起きます。ですから十円玉も含めてお金というものはその持っている人や使い道によって様々なものにかわります。お金のことをありがたいと考える人もいますし、また大いに必要ではあるが、あまり大切にするものではないと思う人もおられ、それぞれ考え方はいろいろあることでしょう。しかし、お金を人間が、それぞれの生活と社会をよりよくしていくものとして見直す時、何か新しい発見がうまれるのではないでしょうか。

(高取顕勝)


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