信仰―法話コーナー


法話

菩薩の姿(合掌のこころ)【2004年4月の法話】

  寒さ厳しい冬もようやく終わり、年度も変わって、気持ちも新たに何事にも取り組み始め易い時期になりました。私も小、中学生の頃以来、ほとんどご無沙汰になっていた書道の練習を再開いたしました。まだ筆の感覚がつかめず、なかなか思うような線が出来ませんが半紙に向かっていると、他のことを考えないで心が落ち着きます。
この感覚は、合掌して本尊の御前に座っている時と似ています。皆さまは、お寺にお参りをして、仏様の前でどのような気持ちで手を合わされますか?合掌するなりすぐに自分たちの願い事を思っていませんか?(「試験に合格させてほしい」とか[商売繁盛しますように」・・・)
 このようにごく当たり前のように願望ばかり連ねてしまいがちです。もちろん仏さまはそのような様々な願いを聞き届けてくださいますが、願主(受ける側)がそれでは、仏さまの力を半分も受け取ることが出来ないでしょう。
では、どのようにお参りをすればよいのかと申しますと、まず、仏さまの前で、今日まで生かされていること、またこうして参杯できることに対して感謝の気持ちで手を合わせてみてください。そうすると必ず、心が安らいでいく感じを受けるでしょう。信者さんの中にはもうすでに実践出来ている方もいるかもしれません。さらに、日々の行いを反省し、澄んだ気持ちで初めて願い事をすれば自分が本当に祈願したいことも定まるでしょう。
 お寺にお参りされる方の多くはいろいろな悩み、願いを持って来られます。怨みは怨みによって果たされず、怒りは怒りによって消えず、ねたみはねたみによって救われず、欲望は欲望によってとどまらず、合掌礼拝することで、安らぎを得ることが出来るのです。また、私達真言宗の僧侶は、僧侶となるための行法の中で、自分の内に仏を観じ、合掌して道場に入ります。これは、自分の中にある仏性を拝む行為です。自分自身に対し合掌することで仏性を高め、行中に降りかかる様々な苦難、まよいから身を守り、心身を清めます。
 形だけの合掌、お参りで、ご利益が得られないと言うのではなく、自分の心次第で安らぎが得られ、和やかに暮らせるのではないでしょうか。(亀井山法秀)



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