信仰―法話コーナー


法話

除夜の鐘【2003年12月の法話】

 今年もはや年末が近づいてまいりました。私がまだ小、中学生の頃は、大晦日、年越しは、こたつにみかんのセットでカウントダウンのテレビを見ながら、除夜の鐘に耳を傾けたものです。
 除夜の鐘には百八つの煩悩を消す意味で、法会終了後から百七回、最後の一回は年明けとともに打つのが本式だそうです。現在ではほとんどの寺でお参りに来られた方がその度に突くことが多いので、回数はバラバラでしょうね。

 この百八つの煩悩のうち最初の三つ、貧(むさぼり)、瞋(怒り)、癡(愚かさ)、は多くの方がご存知だと思います。これらの煩悩すべてが無い方が良いと思ってしまいがちですが、そうとは言い切れません。煩悩は人にとって切っても切り離せないものですし、自身を成長させていく上でも必要なものだからです。ただ見境い無く欲望や怒りの赴くまま愚かな行いをしていては自身の向上は望めません。うまく自分でコントロールするための智恵が無ければなりません。ここでいう智恵というのは、ただ賢い、計算得意で頭が良いということでは無く、行、の善悪を正しく判断する能力を指します。
 今年は去年以上に凶悪な犯罪のニュースが毎日のように流れましたが、それは煩悩を制御するための智恵を持つ者が少なくなっているからかもしれません。犯罪の若年化も集団を重視した教育から個々を重んじ、自由を尊重する方針に急激に変わったためバランスがくずれ、自己中心的で他人を思いやることのできない人が増えてしまったと考えられます。
 つまり心にゆとり、余裕という名の智恵を失ってしまい煩悩に支配されて、まわりの人だけでなく、自分自身を苦しめているのです。
 偉そうなことを申しましたが、私自身も、欲望や怒り、面倒くさいという煩悩にとらわれてしまうことがあります。そこですぐに自分の中で、反省し、悔い改めていくことができれば、気持ちも楽になりますが、時間に追われたり、体調が少し悪かったり、怒鳴られたりするとイライラして反省の気持ちを失ってしまいます。
 このように煩悩があるために私たちの心はかき乱され、人生の苦しみを味あわされます。そしてこの苦悩を乗り越え、人は成長していくのだと思います。三毒と言われる貧、瞋、癡だけでも心に刻み、しみじみと除夜の鐘の音に耳を傾けたいものです。  (亀井山法秀)



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