信仰―法話コーナー


法話

死後はどうなる【2003年10月の法話】

  生きとし生けるものは、その生を受けた瞬間例外なく、“死”というものは決定されています。
 人間が死んだらどうなるのか、これは誰でも知りたい問題です。それでいて私たちは、はっきりと答えることができないのです。しかし、人間が死んでそのままあとかたもかく消えてしまうことはないということは、間違いないと考えてもよいようです。なぜかというと仏陀やキリストやモハメッドなどの大宗教家たちにしても、ソクラテスやプラトンやニーチェなどの大哲学者たちにしても、みな死後の存在をはっきり認めているからです。人生や世界について立派な教えの数々を残してくれたこれらの精神的偉人が、死後について一致した意見を述べている以上は疑う余地のない真理だと考えて間違いないと思います。
 また現在、世界各地に住むさまざまな民族は文明、文化の程度もいろいろですが、死後は存在しないと考えたり、死後を問題にしないような民族はほとんどありません。人間の歴史をさかのぼってみても、ほとんど例外なしに死体を埋葬し、先祖の供養をした痕跡が発見されます。
 しかし、それよりももっと重要なことは、私たち自身の死に対する態度です。私たちは親兄弟、夫婦、友人などに死に別れた時、あとかたもなく消えてしまったとは考えられません。うれしいにつけ悲しいにつけ、あの人たちがいっしょに喜んだり悲しんだりしてくれることを信じて疑いません。あの人がいたらこうも言い、ああもしてくれたであろうといつも考えます。死者が、どこでどのように存在しているかということは分からないにしても、私たちの生活の中に生き続けていることだけは確かです。
 私たち自身が死んだらどうなるか。それも私たちの生活態度によって決まると思います。もし、今の毎日の生活を充実させ、未来の社会の幸福を念願して働いていれば、肉体は死んでも消えてしまうものではないのです。子孫の生活の中に永久に生きながらえるのです。たとえ名は忘れられても、私たちの築いた一かけの石、私たちの植えた一本の果樹は永く多くの人たちの役に立つことでしょう。
 これだけのことは誰にも納得がいくでしょう。しかし、実はもっと重要なことがあるのです。私たちは各人がばらばらに存在しているわけではないのです。血のつながりがあるばかりでなく、精神的にいうと、私たちは皆結ばれているのです。人間だけではなく、すべての生きもの、いや、宇宙全体が一つに結ばれているのです。そのことを一切衆生私悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)といいます。誰も彼も皆仏性という一筋でお互い結びついているから孤独ではありません。生きている間も、死後も同じはずです。こう考えて、持ちつ持たれつ、お互いに助け、助けられ、安心して暮らしてゆきたいものです。  (本徳寛俊)



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