信仰―法話コーナー


法話

■仏教の善行2003年5月の法話


 私たち人間は過去から未来に向かって歩み続ける。昨日した事、去年した事が、今の私たちの生活の土台になっている。もし人間に記憶というものがなかったら、この道理が分からないであろうが、人間である以上は、自分のしたことが忘れられない。体のキズは治るだろうが、心のキズは治らない。自分で自分の心にキズを付けるようなことをするものではない。必ず後悔するに決まっている。

 仏教に「諸悪莫作
(しょあくまくさ) 衆善奉行(しゅうぜんぶぎょう) 自浄其意(じじょうごい) 是諸仏教(ぜしょぶっきょう)」という言葉がある。「悪い事をせず、良い事を実行し、自分の心を清めるというのが仏陀の教えである」という意味である。唐の有名な詩人の白楽天(はくらくてん)が道林という坊さんに、「仏教とは何か」と尋ねたら、道林はこの言葉を教えてくれた。白楽天が「そんなことは三才の子供でも
知っている」というと、造林は「三才の子供でも口ではいえるが、八十才の老人でも実行はできない」といった。難しい理屈よりも、何よりも悪い事をせずに善い事を行うという簡単な実行が仏教なのである。人に迷惑をかけ、自分でも後悔するのが悪であり、人に利益を与え、自分でも満足が行くのが善である。人に害を加えて、その時は得をしたように思うかも知れないが、あとで必ず後悔するも
のである。この簡単な道理が分かれば、自分も楽しいし、世の中も明るくなる。

 しかし実行となると、なかなか難しい。これを人に教えるとなると、なお難しい。今の世の中は、道義が乱れているので、道徳教育をしなければいけないという声を聞く。しかし道徳は口で教えて分かるものではない。

 良寛さんの甥の身持ちが悪くて、意見に来てくれと頼まれたことがあった。良寛さんはその家に三日泊まったが何もいわない。いよいよ帰る日になって甥に 「草鞋
(わらじ)の紐(ひも)を結んでくれ」と頼んだ。変だなと思いながら紐を結んでいると襟元にポタリと落ちてきたものがある。見上げると、良寛さんは目に涙をためてじつと見つめていたのであった。良寛さんは黙って立ち去った。甥は心の底から揺り動かされたということである。

 私は自分の子供たちのいう事なす事を通してハッとする事がある。いやな言葉遣いや動作、それはいつか自分がやった事ではないかと思う。又子供がやっているのを見てホッとする事もある。口でいってもダメだ。子供はその親のまねをする。自分ができもしない事を子供にやらせるのはよくない。

 私たちは今一度、自分の言動や行動が子供に見られても恥ずべきものでないかどうか再確認しなくてはならないのではないだろうか。


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