信仰―法話コーナー


法話

■日々是勉強2002年12月の法話
 
 私は、子どもの頃から勉強と言う物が好きではない。はっきり言って嫌いだ。特に学校みたいな教育機関で教えてもらう勉強などは大嫌いである。これは子どもの頃だけでなく大人になった今でも同じである。嫌いだから必然的に勉強が出来なくなり成績が落ちる。落ちたら上がらず、分からなくなり、分からないからしない、しないからよけいに分からないという悪循環である。だから私みたいな人間が良い成績を取るとしたら、まぐれか不正しか無い。しかし、人生まぐれで良い成績を取る事はそんなにはない。そんな私でも一度位は良い成績を取った事がある。しかし、それはまぐれだろう。そんな私が今この年齢になるとやはり「若い時にもっと勉強しておけばよかった。」と思う事がしばしば有る。だから今でも少し勉強しようと思って本を読もうとするのだが、なにしろ子どもの頃から集中力と言う物をもって無かったのですぐあきらめてやめてしまう。新聞の三面記事の様な短く、分かりやすい文章、面白そうな切り口ならすぐ読んでしまう。

 現代、携帯電話がかなり普及している。いくら私が勉強嫌いでも、“ケイタい”を使う為には勉強しなければ使えない。今の世の中便利になった分、色々勉強しなければ生活に困る事ばかりだ。どこかへ出かける時、電車に乗る為キップを買わなければならないが、むかしは「○○駅まで大人一枚。」でよかったのに、今は自動販売機になり使う人のほうが勉強しなければならない。今の世の中何か新しい事をしようと思ったら全て勉強が必要だ。
 先日、休日を利用して出掛けてたまたま大きな病院の前を歩いていて、その前の信号が赤になったので立ち止まった。するとその病院からひと組の親子が出て来て私の後に止まった。母親が「今日の病院は長い間、待ったわね」と子どもに話していた。そこへ、いかにも急いでる様な老人が向い側に来た。その老人は、まわりを見て車がこない事を確信したら信号を無視して、こちらに渡ってきた。それを見た子どもが「あの人赤信号なのに渡っている。」と言ったが、母親は、だまっていた。その母親も私もその老人が急いでいる理由は分かっていた。その後、母親は子どもにどの様に話したかは分からないが、そこで私は色々な事を学ぶ事が出来た。生かされている私達。お大師様は仏は心の中にいると言われた。私達は日頃から心の中の仏様の声に耳をかたむけ、日々勉強の人生ではないのだろうか。二十一世紀は心の時代、私たちがやっても変わらないではなく、私たちから変えていくという生活をするように心がけようじゃないですか。


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