信仰―法話コーナー


法話

■「諸行無常」2002年11月の法話
 
 
「娘が嫁と花咲いて、嬶(かかあ)と萎(しぼ)んで、婆(ばばあ)と散りゆく」という川柳がある。だれの作か知らないが、人の世の無常をよくうたっている。この世における人間をはじめ、存在するすべてのものは、つねに転変してやむことがない。これを「諸行無常」という。諸行とは人間の身・口・意の行為をはじめとする、すべてのものの動きをいう。人の世の動き・無情のすがた有ありさまをみて真実を求めていく、これが仏教の思想である。

 色は匂へど散りぬるを
 わが世たれぞ常ならむ
 有為の山奥けふ越えて
 浅き夢みじ酔ひもせず

 この「いろは歌」は、『涅槃経』一三・聖行品の「諸行無常 是正滅法 生滅滅已 寂滅為楽」の意味内容を47文字でうたった詩である。

「色は匂へど散りぬるを」とある色は、目に映る「いろ」の意味にとどまらず、この世の存在するすべてのものを意味する。仏教の概論書(倶舎論)は、色を「一定の空間を占有するとともに、変化し壊れていく、変壊
(へんね) 質礙(ぜつげ)」と規定している。美しく咲いた花は、われわれの心をとらえて離さないが、しかしいつしか色あせ萎(しぼ)んで散っていく。

 この世の無常のすがたありさまは、自分の身辺に欠くことはない。しかしこの無常のすがたありさまを自分のすがたのうえにみることは少ないのではなかろうか。無常のすがたありさまは、つねに他人のすがたのうえにしか見いだすことはできない。人間の変わりゆくすがた、生・老・病・死の現象も、他人のすがたのうえにはみることができても、自分のすがたのうえにみることは少なく、またみつめようとしないのではなかろうか。

 生・老・病・死はすべて自分のことではなく他人ごとなのか。すでにこの世に存在するこの自分は、いずれ老い病み死んでゆく存在のほか何ものでもない。また、老い病んでいくことなくても、現代社会においては、事故などで死んでいくことは、今日めずらしくない。この無常のすがたありさまを意識し自覚して真実の何たるかを求めていくのが仏教である。

 皆様も、三鬼さんの御前で、「諸行無常」をおもい、自分をみつめなおしていただければいいと思います。


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