信仰―法話コーナー


法話

■小鳥の消火活動2002年6月の法話

 
『ジャータカ』は、過去世における釈迦の修行物語である。その『ジャータカ』に、こんな話がある。
 森が大火事になった。森にはいろんなたくさんの動物たちが住んでいる。その動物のうち、ウサギやリス、ネズミなどの小さな動物たちは、みんな一目散に逃げ出して行った。
 しかし、大型動物たち--ライオンやゾウ、トラなど--は、その火事を消そうとみんなで消火活動をはじめた。
 けれども、彼らの努力にもかかわらず、火は消えない。それどころか、ますます火の勢いは強くなった。もはや消火活動はできない状況で彼らも避難せねばならなくなった。
 そこで、ライオンの指示に従って、全員が安全な場所へ避難した。そして、焼ける森を呆然と眺めていた。そうするよりほかはなかった。
 ところが、そんな中、一羽の小鳥がなおも消火活動をつづけていた。彼は池に行って羽を水に濡らしてきて、そして森に戻って水をたらす。ほんの一滴、二滴の水しか運べないが、それでも小鳥は努力をつづけた。それは誰が見ても、無駄な努力としか見えなかった。
 見ていた獣たちは、小鳥に向かって叫ぶ。
「危ないぞ!やめろ!もはや火を消すことはできないんだから。そんな一滴、二滴の水では役に立たない。」
 その忠告に対して、小鳥はこのように応えた。
「ご忠告、ありがとう。でも、わたしは最後まで、私に与えられた力をもって、できる限りのことをやりつづけます。」
 この小鳥が、釈迦の過去世における姿だ。さすが釈迦である。この小鳥の態度は立派である。『ジャータカ』は、そのように小鳥の最後までの努力を褒めているのである。
 たしかに、小鳥は立派である。他の者があきらめてしまったことを、たった一人で、無力に近い力で、最後まで頑張り通すのは、並大抵のことではないと思う。だが、ここで、わたしたちがまちがってはいけないのは、小鳥を褒めることによって逃げた動物たちを非難してはならない、ということだ。大きな危険と判断して、避難した動物たちは、それはそれで正しい。小鳥の態度が立派であれば、それ以外の行動は全部駄目と否定的に考えがちになるが、そうではない。小鳥も立派であれば、逃げた動物たちも立派である。そのように考えるべきだと思う。


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