信仰―法話コーナー


法話

■「瞋」(じん) 2002年3月の法話

 
現代社会は混迷と混乱の時代といわれる。政治、経済、教育など、どの社会を見ても私利私欲にはしり、自らの保身に汲汲とし、しかも厚顔無恥で自己の過失を認めず、平然として自己を離ようとしない人々が如何に多いことでしょうか。又、口では平和を叫び、平和を論議の主題としながら自己主張を譲らず入り乱れて混乱し、又人と人との話し合いで協調される世の中になりながら、どうして勝ちとる、闘争などと不穏当な言禁が連発されるのか。その姿がどんなに醜いものであろうか。なすべきをなさず、なすべからざるをなすという生活を繰り返している。それに気付いたとしても自己弁護が先にたち、他から指摘され忠告を受けると、それに反感を抱き、かえって非難することさえあるのではなかろうか。

 このような私たちの心の醜さとんじんちは、実は貧
(とん)・瞋(じん)・癡(ち)の三毒によるものであり、この三毒が煩悩の根源となっているのである。このうち瞋は最重の悪業といわれる。瞋は瞋恚(しんに)ともいい、いかり憎むことで、煩悩の中で最も激しく衆生の善心を害し、自分の心にかなわず、気にそわなければこれを憎み怒る煩悩である。自分の思い通りにならないといって怒り、自己の置かれている状態に常に不満をもち、次第にエスカレートしていく。この心が激昂すれば、人の心をきずつけ、ついには人をもあやめるということにもなりかねない。

 人が相より、相語りあう世の中でありながらも、これほどの醜い心を互いに袖の中にかくしもっているとすれば、それは無始からの酬
(むくい)としての、執敵怨類の再会とでもいうのであろうか。善導大師曰くに、
 「貧瞋邪偽奸詐百端
(とんじんじやいかんさひゃくたん)にして、悪性侵(あくしょうや)め難(がた)く、事蛇蝎(ことだがつ)に同じ」
 といわれたように、むさぼりやいかりのために悪業をくり返し、やめようとしても、やめることができない自己に気付き、犯した罪を心から懺悔するところに、仏教生活の原点があるのである。


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